一日一曲(1686)ホフマン、ヨーゼフ:カレイドスコープ

 本日は、生誕150年(1876年1月20日生)を迎えらえたポーランド出身のユダヤ系アメリカ人のピアニスト兼作曲家、ヨーゼフ・ホフマンさんの曲をご紹介します。

 ホフマンさんは1876年1月20日にポーランド南部の街クラクフで生まれました。わずか10歳にして、ヨーロッパ各地とスカンジナヴィア諸国を歴訪して長期間の演奏旅行を行い、神童の名をほしいままにしました。1887年年末から1888年年頭におけるアメリカでの演奏旅行が評判を呼びました。その後、一時期演奏旅行から退き、名ピアニストのアントン・ルビンシテインの個人指導を受けました(ルビンシテインに個人指導を受けることができたのは、ホフマンが唯一人でした)。1903年から1930年代まで、少数ながら商業録音を行ないました。トーマス・エジソン社のために、草創期のクラシック音楽のレコードを録音してもいます(残念ながらそれらは失われてしまっています)。ロシアで制作されたシリンダーは、最近になって再発見されています。ピアノロールにも吹き込みを行い、それによって莫大な収入を得ましたが、ホフマンさん本人は、ピアノ・ロールが自分の演奏を正確に再現しているとは信じていなかった、とのことです。このような不信感は、アコースティック録音にも抱いていたそうで、本人は「自分はどんな曲でも二度とは同じように演奏しない」と述べていらっしゃいます。後半生をアメリカ合衆国にすごし、カーティス音楽学校で教鞭を執りながら、1938年まで同校校長を務められました。1957年2月16日、ロサンゼルスで81歳で亡くなられました。作曲家としては、少年時代からソナタなどのピアノ曲を多く残しました。

 ホフマンさんは非常に小さな手をしており(だが人並外れて丈夫な手だったそうです)、他の有名な手の小さいピアニストのように難儀していたそうです。スタインウェイ社はホフマンのために、鍵盤が1オクターヴごとに現在の標準的な6.5インチよりも1インチ狭い6.5インチの特製ピアノを造られたとのことです。
 伝説のピアニストで作曲家のラフマニノフは、ホフマンさんを自分の作品の最善の解釈者と認めて、『ピアノ協奏曲第3番』を献呈しました。ところが、ホフマンさんはこれを演奏しませんでいした(小さな手の持ち主に、この献呈は間違いだったのでした)。しかも、ホフマンさんの最初の夫人マリーによると、ホフマンさんはラフマニノフのこの協奏曲が、形式を欠くと見なして、一顧だにしなかったのだそうです。
 ホフマンさんの恩師である作曲家・ピアニストのモーリッツ・モシュコフスキも、自作の協奏曲をホフマンさんに献呈したのですが、やはりホフマンさんは演奏しなかった。ありがちなことですが、ホフマンさんは、ライヴァルの作曲するピアニストが書いた協奏曲を、演奏したいとは望まなかったのだ、と推測されています。
 ホフマンさんは1911年に、同時並行して行なった10の演奏会で、別々の256曲を演奏すると言う記録を打ちたて、ロシアの聴衆を驚かせました。ホフマンの百科事典的な浩瀚なレパートリーは、そのほんの一部が、録音によって伝えられているにすぎないのですが、それでも現在、20世紀の偉大なピアニストの一人と評価されています。
 また、ホフマンさんは発明家の才能もあり、ピアノや自動車の装置を発明して、たくさんの特許を取得していらっしゃいます。自動車用・飛行機用の空気式衝撃吸収体の発明で、20世紀初頭にホフマンさんは一儲けし、その後も医療器具、原油を精製するための炉、ピアノロールに音の強弱を記録する装置(ピアノロール会社が破産するようになったのと同時期の発明、実用化されず)、太陽と共に回転する住宅などを発明しました。最晩年には、ピアノの録音方式の改善に取り組んでいらしたそうです。

 本日の曲はピアノ独奏曲「カレイドスコープ」です。キラキラしたメロディ、目まぐるしく移り変わる様が、万華鏡(カレイドスコープ)をとてもよく表現しています。演奏の難易度はかなり高いと思われますが、ホフマンさんは華麗に弾き切っていらっしゃいます!

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ホフマン、ヨーゼフ:カレイドスコープ

ホフマン、ヨーゼフ:カレイドスコープ(CD)

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