一日一曲(1127)ヴィエルヌ、ルイ:オルガン交響曲第2番ホ短調

 本日は、昨日の曲の題名に出てきましたフランスの作曲家兼オルガニスト、ルイ・ヴィエルヌさんの曲をご紹介します。

 ヴィエルヌさんは1870年にフランス西部の街ポワティエで生まれました。先天性の白内障のため生まれつき盲目に近かったそうです。手術も試みられましたが、あまり視力は恢復しなかったとのことです。2歳の時に初めてピアノを聴き、聴いたばかりのシューベルトの子守唄を、即座にそらで弾いてみせた、という逸話が残っています。大作曲家セザール・フランクに才能を見出され、パリ音楽院に進学し、オルガンを学びました。オルガニストとしての演奏、特にそっ曲演奏に秀でていたそうです。1900年にパリ・ノートルダム寺院の首席パイプオルガン奏者に就任し、1937年に亡くなられるまでその職務を務められました。

 1937年6月2日に67歳で亡くなれれましたが、それはノートルダム寺院での通算1750回目の演奏会の最中でした。即興演奏中に意識を失って倒れ、そのまま帰らぬ人になられたとのことです。『ノートルダム寺院のパイプオルガンの演奏台で最期を迎えたい』とおっしゃっていたらしく、その夢がかなった形になっています。

 本日の曲は「オルガン交響曲第2番ホ短調」です。『交響曲』は、普通はオーケストラ曲に使われる名称です。本曲はパイプオルガン1台の曲の名称として使われているので、かなり珍しい名称の使われ方です。オーケストラに勝るとも劣らぬ音色と音量をもつパイプオルガンの特性を意識しての命名と言えるでしょう。ヴィエルヌさんは生涯で6曲のオルガン交響曲を創られています。本日ご紹介する第2番は1902年、ヴィエルヌさん32歳の時の作品です。演奏時間は40分近い大曲です。長さ的にもオーケストラの交響曲にひけをとっていません。本曲はドビュッシーが激賞したことで、有名になっています。当時の高名なオルガン職人のシャルル・ミュタンに本曲は捧げられていますが、皮肉なことに後年ミュタンはヴィエルヌさんの妻アルレット・タスカンと不倫関係となり、それが原因でヴィエルヌさんの妻アルレット・タスカンとは1909年に離婚されました。
 
 オルガン曲らしい豪華な響きに満ち溢れた曲です。長いので最後まで聴き切るのはちょっと大変かもしれませんが、終楽章の最後の音が消えていったときに味わう充実感には、大曲ならではの大きな感動に満ちたものになります。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ヴィエルヌ、ルイ:オルガン交響曲第2番ホ短調

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