一日一曲(1184)ブルックナー、アントン:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』
本日は、生誕200年(1824年9月4日生)を迎えらえたオーストリアの作曲家、アントン・ブルックナーさん特集の2回目です。
オルガニストとして活躍する傍ら、ブルックナーさんは作曲活動も行うようになりました。当初はオルガン曲や合唱曲などが多かったのですが、次第にオーケストラも含めた大規模な曲を書くようになりました。1855年に『ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)』を作曲し、注目を集めるようになります。当時の高名な作曲家に弟子入りするなど、作曲の研鑽を重ねました。この頃、作曲に関してオルガンで試験を受けることになったのですが、少々難しいと試験管でさえ苦言を呈したフーガ主題を基に、見事な即興演奏を披露、審査員の一人は「彼が我々を審査するべきだった Er hätte uns prüfen sollen.」と呟いたことが記録に残っています。。この言葉はピアレステン教会に記念碑として掲げられているそうです。1963年には生前発表されることがなかった『交響曲ヘ短調(第00番)』を(恐らく習作として)完成させています。1868年、ウィーン国立音楽院の教授に就任し、ウィーンに移住、作曲家としての活動がさらに旺盛になりました。『交響曲第1番ハ短調』(1866年)『交響曲ニ短調(第0番)』(1869年)『交響曲第2番ハ短調』(1872年)『交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」』(1873年)、『交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」』(1874年)、『交響曲第5番変ロ長調』(1876年)と長大な交響曲を次々と作曲しました。ところが、自分の作品に確固たる自信が持てなかったのか、第2番のつもりで作曲した『交響曲ニ短調(第0番)』は指揮者に「第1主題はどこだね?」と言われて返答に詰まったことから、発表を撤回しています(そのため『第0番』と名付けられています)。『交響曲第2番ハ短調』は大作曲家リストに献呈を申し出たのですが、「私は今オーケストラの責任者ではないので、この楽譜を読むだけにとどめなければならない」と消極的な返答しか返ってきませんでした。しかも送った楽譜はリストがブダペストへの旅行に出発する際にウィーンで滞在していた従兄弟の家に置き忘れられていて、ブルックナーさんの手元に帰ってきたそうで、ブルックナーさんはいたく落胆されたそうです。
本日の曲は、交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』です。ブルックナーさん自身がこの交響曲を「ロマン主義的(独: Die Romantische ディー・ロマンティシェ)」と完成後にそう語っていることから、この題名がつけられています。全体で1時間を超える長大な曲ですが、ブルックナーさんの交響曲の中では比較的短い部類に入ります。名前の通り、比較的親しみやすいメロディであふれていることから、ブルックナーさんの曲の中では人気の高い曲です。1874年にいったん完成されたのですが、その後幾たびも改訂作業が重ねられたため、様々なバージョンが遺されており、指揮者によってはそれぞれのバージョンの「良いとこ?どり」をする方やさらに独自の「改訂」を行う方などもいらっしゃり、それらを細かく数え上げると十種類を超えるバージョンが存在しています。どのバージョンを演奏で取り上げるか、というのも、ブルックナーファンにとっては重要なポイントとなっています。
本日は日本人指揮者、佐渡裕さん指揮のライブ録音盤でどうぞ。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ブルックナー、アントン:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』