一日一曲(1229)アイヴズ、チャールズ:弦楽四重奏曲第1番「救世軍から」
本日から五日間にわたって、生誕150年(1874年10月20日生)を迎えらえたアメリカの作曲家、チャールズ・アイヴズさんの曲をご紹介します。
アイヴズさんはコネチカット州ダンベリーで生まれました。南北戦争時に軍楽隊でバンドマスターを務めた父親より音楽の手ほどきを受け、イェール大学で作曲を学び、在学中に交響曲第1番を創作しました。が、自分の理想の音楽を追究しては生計が立たない、と考え、大学卒業後の1898年にニューヨーク州の保険会社に入社し、働き始めました。「不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ」と話していたそうです。忙しい業務の合間に「趣味」で作曲を続け、1908年に結婚するまでは、地元ダンベリーやニューヘイブン、ニュージャージー州ブルームフィールド、ニューヨーク市で教会オルガニストを務められました。1907年に勤めていた保険会社が倒産しましたが、アイヴスさんは友人と共に自らの保険会社アイヴズ・アンド・マイリック (Ives & Myrick) を設立し、1930年に引退するまで副社長を務められました。保険業において目覚しい成功を収める傍ら、1918年に最初の心臓発作に悩まされるまでの間、交響曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲などおびただしい量の作品を創作しました。病後は作曲数が著しく減少し、1926年のヴァイオリン助奏付きの歌曲『日の出』 (Sunrise) が最後の作品となりました。
本日はアイヴスさんの初期の作品である『弦楽四重奏曲第1番「救世軍から」』です。アイヴズさんがイェール大学の2年生だった1896年に書かれました。当初は「コラール、前奏曲、献金、後奏曲」の4楽章で書かれていたのですが、1909年にアイヴスさん自ら第1楽章を削除して残りの3つの楽章の順を繰り上げ、3楽章形式に編集しなおしました(削除した第1楽章は交響曲第4番の第1楽章に転用されました)。
本曲は讃美歌から多数引用があります。第1楽章では讃美歌214番「北のはてなる氷の山」のメロディが使われています。他の讃美歌は、私には良く分かりませんでしたが、どこかで聴いたことがあるようなメロディが多い曲だな、と感じました。
本日は初めに作曲された4楽章形式でお聴きください。NMLには4種の録音がありましたが、どれも当初版で録音されています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
アイヴズ、チャールズ:弦楽四重奏曲第1番「救世軍から」