一日一曲(1533)ケテルビー、アルバート:天使の愛

 本日は、生誕150年(1875年8月9日1959年11月26日生)を迎えらえたイギリスの作曲家兼指揮者兼ピアニスト、アルバート・ケテルビーさんの曲をご紹介します。

 ケテルビーさんはイングランド中部の街バーミンガムで生まれました。5人兄弟の2万眼として生まれ、兄弟は皆楽器を教えられました。中でもケテルビーさんと弟のハロルドが才能を表し、ハロルドは後に著名がヴァイオリニストとなりました。ケテルビーさんはピアノと歌に天性の才能を示し、その後、近くのロゼルズにある聖サイラス教会の聖歌隊長になりました。11歳のとき、バーミンガム・アンド・ミッドランド・インスティテュート音楽学校(現在のロイヤル・バーミンガム音楽院)に入学、作曲とハーモニーの指導を受けました。二年後の13歳のときには、最初の本格的な音楽「ピアノフォルテのためのソナタ」を作曲しています。ロンドンのトリニティ音楽大学への奨学金獲得を巡る選考では、すべての参加者の中で最高の点を獲得しました。(この時、二位がのちの大作曲家グスタフ・ホルストでした)1889年に大学に入学し、研鑽を重ねました。1892年、再び毎年恒例の奨学金コンクールで優勝、ロンドンのウィンブルドンにあるセントジョンズ教会のオルガニストに任命されました。その後5年間その職に就き、その間にいくつかの国歌と賛美歌を書いています。また、演奏活動なども活発に行いました。

1896年、巡回軽歌劇団の指揮者に就任しました。2年間のツアーの後、ケテルビーさんは22歳でオペラ・コミック劇場の音楽監督に任命され、当時ロンドン最年少の演劇指揮者となりました。1906年に女優で歌手のシャーロット・”ロッティ”・ジーゲンベルクと結婚しました(ただ、子供はいませんでした)。

1910年代初頭から半ばにかけて、無声映画(1910年以降の英国の新たな成長産業)の音楽を書き始め、1920年代後半にトーキング映画が出現するまで、このメディアで大きな成功を収めました。

1914年、ケテルベイはオーケストラ作品「修道院の庭で」を書き、翌年にピアノ曲と完全なオーケストラ形式の両方で出版されました。これは彼の最初の大きな成功となりました。本曲は、ケテルビーさんの最も有名な作品となり、世界中に知られるようになりました。ケテルビーさんの人気と楽譜の売り上げが高まったため、1918年にケテルビーさんは演奏権協会の会員になりました。1920年、『ペルシャ市場で』を書きましたが、この曲はケテルビーさんのより人気のある作品の1つになりました。

1920年代後半までに、ケテルビーさんは英国初の億万長者の作曲家になりました。この頃がケテルビーさんの絶頂期でした。次第にケテルビーさんの人気に陰りが見えるようになり、第二次世界大戦中には人気の衰えが目立つようになりました。同時にケテルビーさんの独創性も低下しまておいきました。ケテルビーさんの戦後の作品の多くは古い自作のリワークとなっています。1949年に彼はワイト島に移り、そこでほぼ音楽活動は引退となりました。1959年11月に心不全と腎不全のためカウズの自宅で84歳で亡くなった時には、ほぼ無名の存在となっていました。近年、ケテルビーさんの作品は再評価が進んでいます。BBCラジオ番組「Your Hundred Best Tunes」による2003年の世論調査では、「Bells Across the Meadows」が史上36番目に人気のある曲に選ばれています。

 本日の曲はピアノ曲「天使の愛」です。優しく甘美なメロディが印象的な小品です。アンコールピースにもってこいの曲ではないでしょうか。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ケテルビー、アルバート:天使の愛

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