一日一曲(1553)ベリオ、ルチアーノ:フォーク・ソング
本日は、生誕150年(1925年10月24日生)を迎えらえたイタリアの作曲家ト、ルチアーノ・ベリオさんの曲をご紹介します。
ベリオさんは代々音楽家の家系としてイタリア北西部の街オネリアで生まれました。父エルネスト、祖父アドルフォはともにオルガニスト兼作曲家であり、ピアノや和声法などを彼らから学びました。19歳の時に軍隊に徴集されましたが、銃の暴発により右手を負傷、ピアノ・クラリネット奏者としての道を絶たれてしまいました。作曲に集中することにしたベリオさんは、1947年にピアノ曲《小組曲 Petite Suite》でデビュー、以降前衛作曲家として華々しく活躍することとなりました。1950年には同じく1925年生まれの声楽家のキャシー・バーベリアンと結婚、以後多くの曲を彼女のために作曲しました。ベリオさんは彼女の声を実験的素材として扱い、バーベリアンはその表現力で作品に生命を吹き込み、まさに創作上の「共犯関係」と呼べる関係を築きました。しかし1960年代半ば、ベリオさんが留学先で知り合った学生(後の心理学者スーザン・オヤマ)との関係が原因で夫婦仲は破綻し、1964年に別居、最終的に1972年に婚姻が無効とされました。それでも芸術的絆は途絶えず、離別後も「Sequenza III」(1966)や「Recital I (for Cathy)」(1972)といった代表作が彼女のために書かれています。二人の関係は愛情の終焉を越えて創作の源泉であり続け、20世紀音楽史に独特の軌跡を残しました。
1972年に、「もう帰りたい」・「ワイン造りをしたいから」という理由でイタリアのトスカーナ州シエーナ県ラディコンドリ村に移住、実際にワインづくりも行い、ベリオさん作のワインは地元の居酒屋などに提供されていたそうです。作曲の方は移住後も精力的に行われました。2003年5月、移住から31年後に77歳で亡くなられました。
本日の曲は、声楽曲「フォーク・ソング」です。1964年、作曲者39歳の時の作品です。妻キャシー・バーベリアンのために書かれた作品ですが、作曲された1964年に、ベリオさんの不倫が原因でお二人は離婚されました。私生活では終わった関係でしたが、芸術家としての交流は本曲以降も続きました。
本曲は声と小編成アンサンブルのための連作歌曲で、アメリカ、アルメニア、アゼルバイジャン、フランス、イタリアなど世界各地の民謡や伝承歌を素材とした全11曲から構成されています。単なる編曲ではなく、原曲の旋律や詩を尊重しつつ、ベリオさん独自の和声感覚やリズムの再構築、独特の器楽的色彩が加えられています。バーベリアンの多彩な声の表現力は、各国の歌の情緒を鮮やかに伝える役割を担い、彼女の言語能力や声色の柔軟さが存分に生かされています。ベリオさんはこの作品を通じて「民謡はその土地の人々の声と文化の記憶を映すもの」と語り、普遍的な人間の感情や共同体の記憶を音楽として表現しました。本曲はベリオさんの作品の中でも最も親しみやすく、同時に民族性と前衛性が結びついた名作として広く演奏され続けています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ベリオ、ルチアーノ:フォーク・ソング