一日一曲(1585)ファランク、ルイーズ:アリステッド・ファランクの主題による変奏曲
本日は、没後150年(1875年9月15日没)を迎えらえたフランスの作曲家兼ピアニスト、ルイーズ・ファランクさんの曲をご紹介します。
ファランクさんは旧姓はジャンヌ・ルイーズ・デュモン(Jeanne Louise Dumont)といい、1804年3月に両親ともにフランドル系美術家(彫刻家)の家庭に生まれました。幼少からピアノに親しみ、15歳のときパリ音楽院に進学、ピアノや音楽理論、作曲などを学びました。1821年にフルート奏者で楽譜出版業のアリスティド・ファランクと出会って結婚。1826年に一人娘のヴィクトリーヌを出産。彼女もまた母親同様に職業ピアニストの道を歩むこととなりました。1834年より最初の管弦楽曲を発表する。最初に成功した出版作品は《ロシアの歌による変奏曲 Air russe varié》作品17であり、これはロベルト・シューマンによって絶賛された。その後もさまざまな成功を重ね、いくつかの交響曲や室内楽曲によって楽壇で名を揚げることができました。1842年にパリ音楽院ピアノ科の教授に就任しました。さしあたって補助職員並みの俸給しか得られなかったために、8年もの間、男性教授並みの給与を求めて闘い続けました。1849年に《交響曲 第3番》作品36がパリ音楽院管弦楽団によって上演されると、最大の成功を収めた。1850年には、《九重奏曲》作品38がヨーゼフ・ヨアヒムの出演を得て成功を収めました。それでも給与は内務省の規定よりも低く、同僚の男性教師はもとより、後から入った教師よりも低かったことから、校長のオベールに不当を訴え続け、1852年にやっと規定額に昇給しました。1859年に娘ヴィクトリーヌが結核のために33歳の若さで夭折、1865年には夫にも先立たれてしまいました。娘と夫に先立たれてからはほとんど作曲しなくなりましたが、1872年までパリ音楽院の教壇に立ち、後進の指導にあたられました。1861年と1869年に管弦楽曲に対してフランス学士院よりシャルティエ賞を授与されています。1875年9月にパリで71歳で亡くなられました。死後、残念なことにファランクさんの作品は忘れ去られてしまいました。が、今日は歳氷河が少しずつ進んできています。
本日の曲は、ピアノ曲「アリステッド・ファランクの主題による変奏曲」です。夫が作った主題を妻が変奏曲に仕立て上げた、という形になっています。1822年に出版された曲とのことですから、新婚の時、17~8歳の時に創られたことになります。一人娘さんより先に曲が生まれた、ということになりました。本日は二人の愛の結晶の本曲をどうぞ!
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ファランク、ルイーズ:アリステッド・ファランクの主題による変奏曲
ファランク、ルイーズ:アリステッド・ファランクの主題による変奏曲(CD)
|