一日一曲(1655)ブリストウ、ジョージ・フレデリック:交響曲第3番嬰ヘ短調
本日は、生誕200年(1825年12月19日生)を迎えらえたアメリカの作曲家兼指揮者兼ヴァイオリニスト、ジョージ・フレデリック・ブリストウさんの曲をご紹介します。
ブリストウさんは1825年12月19日にニューヨーク州ブルックリンで生まれました。作曲家・音楽教師であった父親のもとでピアノ、和声、対位法、オーケストレーションの指導など、音楽の英才教育を受けました。1843年、17歳の時にニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団の第一ヴァイオリンセクションに加入し、1879年まで在籍しました。1850年から1853年までの期間はコンサートマスターを務められました。1850年代、ブリストウさんはニューヨーク・ハーモニック・ソサエティとメンデルスゾーン・ユニオン(後にいくつかの教会合唱団)という2つの合唱団体の指揮者となりました。1854年、ニューヨークの公立学校で音楽教育者としての長いキャリアも開始されました。1898年12月13日、ニューヨーク市第二公立学区の音楽監督補佐官を務めていた最中に73歳で突然亡くなられました。グラマースクール第42号校の授業中に倒れられた、とのことです。作曲家としては、5つの交響曲、2つのオペラ、オラトリオ、合唱曲、室内楽など多数の作品を遺されました。批評家ウィリアム・ヘンリー・フライやニューヨーク・フィルハーモニック協会との公の対立にも大きく関わり、アメリカ人作曲家の排除を批判しました。ブリストウさんは作曲と擁護活動を通じてクラシック音楽における明確にアメリカ的な伝統の基盤を築くのに貢献されました。
本日の曲は「交響曲第3番嬰ヘ短調」です。1858年、作曲者33歳、最も充実している時の作品です。大規模な作品で演奏時間も35分超となっています。ブリストウさんは「アメリカ独自の交響曲」を築こうとした先駆的存在で、生涯に5曲の交響曲を作曲しました。この第3番は中でもとりわけ構築力とドラマ性の高さで評価され、19世紀アメリカ交響曲の代表作の一つに数えられています。ドイツ・ロマン派の影響を受けながらも、アメリカ的な明快さ・直線的な旋律感が顕著であり、19世紀アメリカ交響曲として完成度の高い曲です。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ブリストウ、ジョージ・フレデリック:交響曲第3番嬰ヘ短調
ブリストウ、ジョージ・フレデリック:交響曲第3番嬰ヘ短調(CD)
|
|
