一日一曲(69) ストラヴィンスキー、イーゴリ:2台のピアノのための協奏曲(コンクール特集 A-2)
本日ご紹介する曲の演奏者は以下です。
第2回チャイコフスキー国際コンクール優勝者(1962年)ウラディミール・アシュケナージ
第5回チャイコフスキー国際コンクール優勝者(1974年)アンドレイ・ガヴリーロフ
優勝者のペアの演奏を見つけたので、UPいたします。
ソ連の威信をかけて創設された国際コンクールで、第1回の優勝者がアメリカ人だったということで、第2回はさらに気合を入れて準備したのでしょう。ソ連の出場者のプレッシャーはすさまじいものがあったのではないかと想像します。そのような中で同率とはいえ、「ソ連の威信」を守ったのがウラディミール・アシュケナージさん。ただし、コンクールの優勝の翌年、アシュケナージさんはイギリスに亡命してしまいます。そのため、ソ連はアシュケナージさんの優勝を抹消してしまったそうです。今はソ連はなくなっていますから、この抹消はどうなっているのでしょうか。抹消が抹消されたのかなあ、などと想像していますが、さて。
アシュケナージさんは、1955年のショパン国際ピアノコンクールに出場し、惜しくも2位でした。このとき、アシュケナージさんが優勝を逃したことに納得できなかったミケランジェリさんが審査員を降板する騒動があったそうです。
20世紀後半を代表する名ピアニストとして大活躍されていらっしゃいましたが、1970年頃から指揮活動にも取り組み始め、徐々にそちらに軸足が移っていきます。日本でも2004年から2007年までNHK交響楽団の音楽監督を務めていらっしゃいます。
結構日本のことがお好きらしく、ルツェルン湖畔の自宅に和室がしつらえてあり、様々な日本の文物が飾られている様子が紹介されています(N響就任を記念して放送されたNHKの特集番組より)。
NHK大河ドラマで2005年の『義経』と翌2006年の『功名が辻』についてサウンドトラックで指揮を担当しているほか、2007年公開のアニメ映画『ピアノの森』ではピアノ演奏・ミュージックアドバイザーで参加されたそうです。
ガヴリーロフさんは、チャイコフスキーコンクール優勝後、1980年までに世界の主要文化都市にて演奏していましたが、その後数年間、政治的理由で国外での演奏活動からは遠ざけられました。そこでガヴリーロフさんは、当時の書記長ミハイル・ゴルバチョフに請願します。その結果、亡命することなく国外に滞在する許可を与えられた第一号のソ連の芸術家になり、国外での演奏活動を再開することが出来るようになりました。
1994年から2000年初頭まではほとんど演奏活動から離れます。その期間、哲学や宗教の研究、そして新しい音楽のアプローチ法を模索されたそうです。その後2000年から徐々にコンサートを再開し、以来一層精力的に活動されていらっしゃいます。
本日紹介する「2台のピアノのための協奏曲」は、「協奏曲」という題がついていますが、実際にはピアノ二重奏曲です。
初演は、1935年11月21日、パリで作曲家自身と次男のスリマ・ストラヴィンスキーによって演奏。その後、ストラヴィンスキー親子は頻繁に演奏旅行を行ってこの曲を演奏したとのことです。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より
https://ml.naxos.jp/work/5382824