一日一曲(253)ポポフ:交響曲第1番
本日は、今年没後50年(1972年2月17日没)を迎えられたガヴリイル・ニコラーエヴィチ・ポポフさんの曲をご紹介します。
ポポフさんはソ連の作曲家です。ロシア南部の都市、ノヴォチェルカスクの生まれです。
本曲はポポフさんが23歳の頃から少しずつ作られ、完成は1934年、ポポフさん30歳の時でした。まだ作曲途中の段階で、ボリショイ劇場とプラウダ紙によって提供された賞金を獲得したということです。どういった審査基準だったのかな、とか、他にはどんな曲があったのだろうか、と、興味深いところです。
芸術界の評価は上々だったようですが、政治関係の方ではそうもいかなかったようです。初演の翌日、レニングラードの検閲委員会は、本作を「我々に敵対する階級のイデオロギー」を反映するものと決め付けて、『上演禁止』としたそうです。その後、1936年にはポポフさんはショスタコーヴィチさんとのとの交流を理由に、「形式主義者」であると非難されることとなりました。本曲の上演禁止はポポフさんが亡くなるまで続いたそうです。
幻の曲となってしまいましたが、本曲はショスタコーヴィチさんをはじめとした他のソ連の作曲家に大きな影響を与えたそうです。今の耳で聞くと、どうしてこれが上演禁止になってしまったのか、さっぱりわかりません。そんなに「ゲンダイオンガク」という感じもしないのですが。よっぽどシェーンベルクさんを代表とする十二音音楽の方が聴きづらいです。本曲は、第3楽章の盛り上がりなど、いかにも交響曲といった感じなのですが。
本日は日本人指揮者が日本のオーケストラで演奏したライブ録音でどうぞ。これ、本曲の日本初演だったそうです。静寂の後の万雷の拍手が印象的です。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より
https://ml.naxos.jp/work/7728705