一日一曲(664)ラフマニノフ、セルゲイ:交響曲第1番
今年はロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフさんの生誕150年(1873年4月1日生)にあたります。フィギュアスケートの伴奏曲にも頻繁に取り上げられてるなど、世界的な人気を誇る大作曲家にして偉大なピアニストです。
本日から1週間にわたって「ラフマニノフ特集」を組んでみました。ラフマニノフさんの節目となった作品をご紹介しながら、生涯を振り返ってみたいと思います。
ラフマニノフさんは1873年、ロシア帝国ノヴゴロド州セミョノヴォで、没落貴族の家庭に生まれました。4歳の時に音楽の才能を見出され、奨学金を得てペテルブルク音楽院の幼年クラスで音楽の学びを本格的に開始します。その後、モスクワ音楽院に移り、ピアノと同時に作曲にも興味を示すようになりました。大家チャイコフスキーさんから目をかけられていたとのことです。18歳でモスクワ音楽院のピアノ科を首席で卒業、翌年には作曲家を首席で卒業し、順風満帆な出だしだったのですが、本日ご紹介する曲でケチがついてしまいました。
1895年に自信満々で作曲した交響曲第1番は、1897年に初演されましたが、その演奏会の評価は散々なものでした。それを苦にしたラフマニノフさんは自信喪失し、神経衰弱になり、作曲できなくなってしまいました。
ただ、そんな悲惨な結果をたどることとなった本曲ですが、作曲者自身は「いつか改訂したい」という思いを持ち続けていらしたようです。楽譜は大切に自宅に保管されていたとのこと。ところが、1917年に亡命した際、その楽譜は自宅に置いたままになってしまいました。混乱の中ですから致し方なかったのでしょう。楽譜は失われてしまい、改訂はおろか、ラフマニノフさんの存命中には本局は二度と演奏されることはありませんでした。
ところが、作曲者が亡くなられてから2年後の1945年に、レニングラードの国立図書館で本曲の初演の際のパート譜一式が発見されました。スコアが復元され、同年10月17日、モスクワ音楽院大ホールにおいて、本曲は再演の運びとなり、以降現在まで広く演奏される曲となっています。
本曲はなかなか凝った作りとなっています。ラフマニノフさんの作品の中に頻繁に引用される『グレゴリオ聖歌「怒りの日」』の旋律(最初の4音のみなのですが)が、本曲でも重要なテーマとして幾度も登場します。そのほか、正教会聖歌なども巧みに引用されています。打楽器も効果的に活用するなど、それまでの勉強の集大成ともいえる曲に仕上がっています。
個人的には、大人気の交響曲2番よりも本曲のほうが面白く聴けるのですが、これが初演では散々な評判だったとは、ちょっと信じられない思いです。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ラフマニノフ:交響曲第1番