一日一曲(792)周文中:弦楽四重奏曲第2番「Streams」

 本日は、生誕100年(1913年7月28日生)を迎えらえた中国の作曲家、周文中さんの曲をご紹介します。

 周文中さんは1923年に山東半島の煙台生まれ、幼少からバイオリンを学ばれました。が、大学では都市工学を学び、1946年に渡米して建築学を専攻します。しかしそこから方向転換。程なくして、1946年から1949年にかけニューイングランド音楽院に入学して音楽の勉強を始めます。その後コロンビア大学で作曲を学び、1954年に修了。1949年から1954年にかけては、現代作曲家のエドガー・ヴァレーズに作曲を個人的に師事しています。1965年にヴァレーズさんは亡くなられますが、周文中さんは遺作の管理人となり、『ノクターナル』の補筆完成などを行いました。1958年にはアメリカの市民権を獲得しており、アメリカを中心に活躍されました。

 本曲について、作曲者自身は、次のように記しています。
『私の第2弦楽四重奏曲は、バッハの天才の普遍性への謙虚な賛辞です。「ストリーム」というサブタイトルを持ち、単一のソースから生まれた異なるアイデアの衰退と流れ、または異なるソースからの電流の合流点を単一の混ざり合うエンティティに示唆しています。』
 続いて、作曲者自身の本曲の解説です。
『第1楽章は厳密なフーガ。従来のフーガと異なるのは、その主題が中国の陰陽と易経の理論の中心となる弾力性に従って、フーガ全体で根本的な変化を遂げることです。フガルなテーマの西洋的な変容が鏡で自分自身を見ることとして特徴付けることができるならば、このカルテットの変容は、流れる小川や波打つ池で自分の顔がうねっているのを見るようなものです。もう一つの違いは、変化の単一の「インスタンス」に対して、変化の段階的な「プロセス」に重点を置くことです。この特徴はカルテット全体に見られます。

第2楽章はエレジーで、フーガルの陰陽形式に基づいて、2つのペアでカノンとして設定されています。中国語の副題であるZhaohunは、文字通り「故人の精神を呼ぶ」という意味の数千年前の詩形式を指します。それは順番に悲しげで、優しく、爆発的で、気まぐれですが、常に制約されており、しばしば互いに並置されています。この幅広い感情は、お互いを模倣して、ミュート付きの文字列によって表現されます。この楽章は、数年前に聞いた中国南西部の孤立した地域の村人の並外れたアカペラポリフォニックな歌唱を思い出させます。エレジーは、私がこの動きをスケッチし始める直前に突然亡くなった兄のウェンチンの記憶に捧げられています。

次は「永久運動」の性格を持つ非常に短いスケルツォのような動きですが、技術的には再び二重カノンです。ここでの関心は、各フレーズ内の音符の数を絶えず拡大し、各ビート内で繰り返される弓の攻撃によって、ますます高まる緊張への執拗なドライブのプロセスです。しかし、この着実に引き締まるムードは、テンポの引き潮と流れ、ダイナミクスの変動によって打ち消されます。これらの音の表現手段はすべて、中国の書道と同じ美的原則に従っており、1回の筆遣いが可動性と緊張感を高めると同時に、質感と密度の変動を示す可能性があります。要するに、この動きは、単一の書道のストロークがどのようにその行動方針を完了するかについてのすべてであるように思われます。楽章が作曲されてから長い間、なぜそのようなテーマを描くことを選んだのか不思議に思っていました。この四重奏曲を作曲していた何ヶ月にもわたって、私は身体に激しい再発性の痛みに苦しんでおり、突然楽章を締めくくるアルペジオのように、突然治まると容赦なく耐え難いクライマックスに激化していることに気づきました。

最後の楽章は、フーガの3つの主要な解説の要約です。それはダブルストップのカノニック模倣で始まり、実質的に8つの部分のカノンになります。弦のダブルストップの重ね合わせは、楽章を作曲しながら昇華を感じさせました。その後、カデンツァのようなセクションが続き、別の8部構成のセクションが続き、現在はホモフォニックであり、人生の意味、つまり自然と一体になるという強い感覚を持っています。短いコーダは、フーガの導入部を彷彿とさせる、音楽を冒頭のところに戻します。バッハの「フーガの芸術」の記念碑的な側面を尊重して、ストリームは誠実に簡潔かつ簡潔に保たれています。』(周文中さんのサイトより引用)

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
周文中:弦楽四重奏曲第2番「Streams」

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