一日一曲(1052)ラーボア、ヨーゼフ:左手のための小協奏曲第3番

 本日は、没後100年(1924年4月26日没)を迎えらえたオーストリアの作曲家兼ピアニスト、ヨーゼフ・ラーボアさんの曲をご紹介します。
 
 ラーボアさん1842年にボヘミアのホロヴィッツで生まれました。幼児期は病弱で、3歳の時に天然痘に罹り失明してしまいました。ウィーンの盲学校で教育を受けるかたわら、ウィーン音楽院で音楽教育を受け、さらに個人指導で音楽理論とピアノを習得しました。盲目ながら若くしてフランス、イングランド、ロシア、スカンジナビアといったヨーロッパ各地を演奏旅行で巡り、活躍されました。盲目だったハノーファー王ゲオルク5世と近しくなり、1865年にはハノーファー宮廷室内ピアニストに指名されました。普墺戦争が始まったことを受け、1866年にゲオルク5世に随行してウィーンに避難し、この地でピアノ教師として活動を続けられました。作曲は姉のジョゼフィーヌまたはパートナーのロジーヌ・メンゼルの助けを借りて行われました。晩年、1920年にパートナーであるロジーヌ・メンツルさんが、1922年には姉のジョゼフィーネさんが相次いで亡くなり、作曲の筆は一時おられてしまいました。悲しみの中から立ち上がったラーボアさんは、1923年に「左手のための小協奏曲第3番」を完成させました。それが最後に完成された作品となりました。1924年2月28日に、インフルエンザのため81歳で亡くなられました。生前当時は有名な音楽家として認知されていましたが、今日では残念ながらすっかり忘れ去られた存在となっています。

 本日は最後に完成された作品となった「左手のための小協奏曲第3番」です。ピアノの弟子である、パウル・ヴィトゲンシュタインさんのために書かれた作品でもあります。ピアニストであったヴィトゲンシュタインさんは第1次世界大戦で右手を失いましたが、左手一本でピアニストとして活動することを決意しました。最初に師であったラーボアさんに左手のためのピアノの作品を依頼します。そこからヴィトゲンシュタイン家の経済力にも物を言わせ、当時の著名な作曲家に次々に左手のための作品を依頼しました。ヴィトゲンシュタインさんのお陰で、本曲を含めて多くの左手のためのピアノの作品が生まれることとなりました。
 本曲、まず、左手ピアノの独奏から開始されます。約1分のこの独奏部分が本曲の白眉でしょう。左手一般で弾いているとは知っていないと聴き逃してしまいそうな、両手で弾いているような音の厚みがあります。ロマンティックなメロディですね。本曲は結構難易度が高かったようで、ヴィトゲンシュタインさんは自分で簡易的に編曲して弾いていらしたと伝わっています。勿論、本日の演奏はラーボアさんの書かれたとおりに演奏されています。時の流れの中で忘れ去られてしまったのがちょっと不思議なくらい、心に響く音楽です。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ラーボア、ヨーゼフ:左手のための小協奏曲第3番

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