一日一曲(1109)ミヨー、ダリウス:ヴァイオリンソナタ第1番

 本日から五日間にわたって、没後50年(1974年6月22日没)を迎えらえたフランスの作曲家、ダリウス・ミヨーさんの曲をご紹介します。

 ミヨーさんは1892年に南フランスのプロヴァンス地方のマルセイユで生まれました。生まれつき小児麻痺を患っていたとのことで、車いすを使うことが多かったとのことです。1920年代以降はリウマチにも悩んでいらしたそうで、体は頑健な方ではなかったようです。でも、81歳まで生きられましたから、体が弱かった分健康には気を使われていたのかもしれません。実家はアーモンド取引で財をなした富豪で、ユダヤ人の父は商館をとりしきるかたわら地元の音楽協会の中心人物を務められており、母親はパリで声楽を学んでいた経歴をお持ちの方でした。このような環境の中、7歳からヴァイオリンを始め、1904年からは若干12歳でブルギエの四重奏団で第2ヴァイオリン奏者として活動を開始しました。地元の軍楽隊の音楽隊長から和声法を学びつつ作曲も始めましたが、学んだ和声法は生かされず、その頃作曲されたヴァイオリンソナタ(ヴァイオリンソナタ第1番)は、独自の和声進行で書かれています。1909年にパリ音楽院に入学し、研鑽を重ねました。パリでは頻繁に演奏会に通い、モーリス・ラヴェルの『夜のガスパール』初演や、発足まもないバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演などに刺激を受け、ドビュッシー、モデスト・ムソルグスキーに傾倒する。その一方でリヒャルト・ワーグナーの作品には嫌悪感を覚え、生涯「反ワーグナー」の姿勢をとられていたそうです。音楽院では次第に作曲の勉学に軸足を移すようになりました。和声の成績がすこぶる悪かったそうですが、それは、既に自分の音楽、自分の和声を持たれていたからだったからなのかもしれません。ある日ミヨーさんが和声学の師に自作のヴァイオリンソナタを見せたところ、「君は私のクラスで何をしているのかね? 君は既に自分の和声語法を持っているのに、さらに因習的な和声を習おうとしているのか。クラスを去りたまえ」と言われてしまったそうです。その師の許は去りましたが、対位法や作曲の勉強は続け、様々な音楽家、後にフランス六人組を結成する、アルテュール・オネゲル、ジェルメーヌ・タイユフェール、ジョルジュ・オーリックらと知り合われました。

 本日は、その「ヴァイオリンソナタ第1番」です。演奏される機会はさほど多くはないと思います。若者の瑞々しい感性のほとばしり、とでも表現するのでしょうか、はたまた南仏プロヴァンスの明媚な風景からの影響もあるのでしょうか、非常に美しい曲です。もっと有名になってもよい経だと感じましたが、ミヨーさんには他にも素敵な曲をたくさん書かれていらっしゃいますから、それらの光の陰に隠れてしまった、ちょっと不運な曲と言えるかもしれません。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ミヨー、ダリウス:ヴァイオリンソナタ第1番

ミヨー、ダリウス:ヴァイオリンソナタ第1番(CD)

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