一日一曲(1129)アラン、ジャン:連祷

 本日は、昨日の曲の誕生のきっかけとなった作曲家兼オルガニスト、ジャン・アランさんの曲をご紹介します。

 アランさんは1911年にパリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レーで音楽家の家庭に生まれました。父はオルガニスト兼作曲家で、一昨日ご紹介しましたヴィエルヌからオルガンを学んでいます。また、妹(次女)オリヴィエは作曲家兼オルガニスト、末の妹(三女)のマリー=クレールは世界的なオルガニストです。本名はジャン=アリスト・アラン、だそうです。父親からオルガン演奏の手ほどきを受けた後、1927年から1939年までパリ音楽院で学んでいます。在学中は和声法とフーガのクラスでそれぞれ首席となるなど、かなり優秀な成績でした。オルガンでも1939年にオルガン演奏と即興演奏で首席に輝いています。第二次世界大戦手従軍し、第8機甲師団にバイク伝令として配属され、活動していた1940年6月20日、ソミュール東部戦線でドイツの先遣部隊を偵察中に、ル・プティ=ピュイでナチス・ドイツ軍の一団に出くわしてしまいました。降伏を拒否して攻撃したアランは、そこで戦死、短い生涯と閉じることとなりました。
 作曲家としてのは、1929年、18歳のときから1940年までの10年余りの短い期間です。その短い期間に100を超える作品が書かれています。同時代のクロード・ドビュッシーやオリヴィエ・メシアンの音楽語法だけでなく、東洋の音楽や舞踊・哲学への興味、ルネサンス音楽やバロック音楽といった古楽への関心、ジャズからの影響など、多彩で豊かな作品が遺されています。オルガン曲や管弦楽曲など数々の楽曲は、20世紀音楽の中でも独創的な音楽作品に数えられている。

 本日の曲はオルガン曲「連祷(れんとう)」です。昨日の曲の中でも本曲のメロディが引用されています。『連祷』とは、カトリック教会や正教会で礼拝の時に用いられる祈りの一つの形式で、司祭と聖歌隊が歌い交わす形式で行われるものです。本曲は、その歌い交わしが曲の信仰の中で取り入れられているように聴こえます。
 本曲について、当初は冗談音楽のように構想されていたそうです。1937年に作成された初期稿には、「小さな手押し車を押す男の物語。男の後ろには20人の警官がいて、男に視線を投げかけている。」と書かれています。しかし、作曲の途中で妹(長女)オディールがアルプス山中で遭難死するという出来事があり、それを受けて作曲者は当初の楽しげな雰囲気を一掃し、曲名も「連祷」と改題、次のような序文を添え、作品を完成させました。「キリスト教徒が苦悩に打ちひしがれた時、その魂は神の慈愛を哀願するよりほかに見出しうる言葉はなく、同じように敬虔な祈りを終わることなく繰り返す。理性は限界に達し、魂の飛翔に追いつくのは信仰心ばかりである。」

 本日の演奏者、ジャンの妹のマリー=クレール・アランは、次のような言葉を残しています。

『とても豊かで味わい深く、ちょっぴり荒々しくて時にかなり不機嫌な音楽。私は、兄が望んでいたものに段々と忠実でいられるようになりました。兄はちょっとしか年が離れていませんでしたが、何でも教えてくれたのです。私にはとてもよい兄でしたし、音楽も兄が教えてくれました。私は兄が演奏するのを聴きながら、レパートリーを耳で覚えていったのです、私が演奏家でいられるのもほとんど兄のおかげです。実家にはオルガンがありましたから、兄がレパートリーを演奏しているところ耳にしたものです。兄がフランクやヴィエルヌ、バッハなどの作曲家や、自分自身の作品を演奏していた様子を、今でも実にはっきりと思い返すことができます。まるで兄が200年間生きてきた人のような印象になりましたよ、夭折する人にはしばしばありがちなことですが。ジャン・アランという人は、信じられないような生命力の持ち主でもありましたから、兄の音楽に興味を持つ人は、たちまちそのことに情熱を覚えずにはいられないのです。兄が死んで長いこと経った今になってもね。ジャン・アランの人柄と音楽に無関心でいるなんてことはできませんよ。』

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
アラン、ジャン:連祷

アラン、ジャン:連祷(MP3ダウンロード)

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