一日一曲(1218)シュミット、フランツ:ピアノ協奏曲変ホ長調(左手のための)
本日は、生誕150年(1874年12月22日生)を迎えらえたオーストリアの作曲家、フランツ・シュミットさんの曲をご紹介します。同時代のフランスの作曲家フローラン・シュミットとの区別の必要から、両者ともに氏名を省略せずにカナ書きすることが通例とのことです(名前のイニシャルと姓だけ(F.シュミット)では両者の区別がつかないため)。
シュミットさんはプレスブルク(現在はスロヴァキアの首都ブラチスラヴァ)で生まれました。1888年に家族と共に転居したウィーンで、ウィーン音楽アカデミーに入学し、作曲とチェロを学びました。1896年に「優秀賞」を得て卒業し、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団にチェリストの座を射止めて1914年まで演奏したそうです(同オーケストラに就職する際、13人のライバル候補を蹴落としたといわれているそうです)。同オーケストラには当時の高名な指揮者であるマーラーがいらっしゃいました。また、ピアニストとしてコンサートを開催したり、ウィーン音楽アカデミーでチェロ、ピアノ、作曲、音楽理論を教えたりしていた。なお、指揮者としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮することもあったが、団員の言葉によると、「そもそも作曲家なるものが必ずしも自己の創作の最上の解釈者たるべきとは限らない事実をまさに証明する」とのことです。1925年にウィーン音楽アカデミー理事に、1927年には院長に就任。健康の悪化に伴い、1937年初頭にアカデミー辞職を余儀なくされ、1939年にペルヒトルツドルフで他界されました。
本日の曲はピアノ協奏曲変ホ長調です。独奏ピアノは左手のために書かれたものです。本曲は、第1次世界大戦で右腕を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの依頼によって書かれました。シュミットさんは彼のために他にも数曲作品を書いていらっしゃいます。シュミットさんの作風はヴィトゲンシュタインのお眼鏡に叶ったようで、1935年にウィーンで初演されています。ただ、残念なことに本曲はその後やや忘れられた存在となってしまったようです。左手のためのピアノ曲というと、手が少なくなったことを感じさせないような創りの曲にする例が多いのですが、本曲はそんなアクロバットなことはせず、純粋?に無理なく左手で演奏するピアノ協奏曲に仕上がっているような印象を受けます。そういったところも人気が出なかった点に影響しているのかもしれません。
伝統的な3楽章形式で書かれていて、演奏時間は43分を超える長大な作品です。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シュミット、フランツ:ピアノ協奏曲変ホ長調(左手のための)