一日一曲(1264)マルタン、フランク:8つの前奏曲

 本日は、没後50年(1974年11月21日没)を迎えらえたフランスの作曲家、フランク・マルタンさん特集の3回目です。

 1946年、56歳の時にオランダに移住しました。スイス時代に公務に追われて専念できなかった作曲活動に多くの時間を割くようになりました。アムステルダムに10年暮らした後、ナールデンに移住しました。1946年に次男、1949年には四女が誕生しています。

 本日はこの頃の作品の中より、ピアノ独奏曲集「8つの前奏曲」をご紹介します。
 本曲は、最も親しい友人の一人であるピアニスト、ディヌ・リパッティのために作曲されました。作曲を始める12曲の前奏曲を書くつもりだったのですが、作曲の途中で気が変わり、8曲だけ書かれました。本曲はリパッティの演奏とその独特のタッチにインスピレーションを受けて書かれました。1948年春、前奏曲を完成させると、ロンドンで会ったリパッティにそれを渡しました。楽譜にはリパッティへの献呈がこのように書かれています。

  To take your ten magic fingers for a walk
  I would have needed twelve magic gardens.
  Now there are but eight, and poor pieces for a fairy.
  For the Muse punished me in my slow search for sounds
  Too oft with contempt for my syntheses.

   (日本語訳)
  10本の魔法の指を散歩に連れ出すには
  魔法の庭園が12必要だったでしょう。
  今ではたった8つしかなく、妖精としては貧弱な作品です。
  ミューズが、音を探すのが遅い私を軽蔑し、罰しました。

 リパッティはとても喜び、「2年後に人前で演奏する」と言いました。作曲家の驚きの表情を見て、リパッティはこう付け加えました。「解釈者は、このような作品を完全に同化するのに2年は必要だと思う。」これはリパッティの芸術的良心の立派な証明であり、リパッティの偉大さの重要な特徴であったことは間違いない、とマルタンさんの三番目の妻、マリア・マルタンさんは書き残されています。
 この頃から白血病に侵されていたリパッティは、前奏曲の公開演奏を行うことなく、1950年末にこの世を去りました。世界初演は作曲から12年後の1950年にピアニストのデニス・ビダルによって行われました。

 前奏曲集の第1番の出だしの部分ですが、B-A-C-H(B♭-A-C-Bナチュラル)の音符を(移調して)含んでいます。このモチーフは、マルタンさんが他の誰よりも尊敬していた作曲家バッハへのオマージュとして使われています。この音型は本前奏曲を通して繰り返し登場していますので、聴いて探してみるのも面白いでしょう。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
マルタン、フランク:8つの前奏曲

マルタン、フランク:8つの前奏曲(MP3ダウンロード)

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