一日一曲(1279)シャルヴェンカ、クサヴァー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
本日は、没後100年(1924年12月8日没)を迎えらえたドイツの作曲家兼ピアニスト、クサヴァー・シャルヴェンカさんの曲をご紹介します。
シャルヴェンカさんは1850年にドイツ中西部の街ザムターで生まれました。3歳の頃には耳で聞いた音を元にピアノを演奏するなど音楽の才能を示していたとのことです。しかし、裕福ではない家庭であったため、ピアノは当初独学でした。1865年、15歳で家族と共にベルリンへ移住、兄と共にテオドール・クラクの音楽院に入学し、ピアノと作曲を学ぶこととなりました(なお、お兄様も作曲家になられています)。1867年にクラク音楽院を卒業、翌年に教員として母校に加わり、活躍されることとなりました。1869年にはベルリン・ジングアカデミーの演奏会でメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲第2番』演奏し、ピアニストとしてデビュー、さらに同年には『ポーランド舞曲集』(作品3)など数曲を発表、作曲家としても世に出ることとなりました。1873年から翌年にかけて兵役にとられましたが、復帰後にはコンサートピアニストとして演奏旅行を開始しました。自作のピアノ協奏曲なども披露されています。室内楽の方面でもトリオを結成して演奏会を行うなど、華々しく活躍されています。1881年にはベルリンに音楽学校を創設し、後進の指導にも熱心に当たられました。1891年にはアメリカへの演奏旅行を行ったほか、ニューヨーク市にシャルヴェンカ音楽院の分校も設立されました。アメリカ滞在中の1893年にベルリンの音楽院が合併によりクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院となり、1898年に帰国した際には音楽院の理事に就任しています。1924年、ベルリンで74歳で亡くなられました。
本日の曲は、シャルヴェンカさんの代表作に挙げられている「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調」です。
出版関係でいざこざがあり、作曲した2部構成の幻想曲の出版を断られてしまったシャルヴェンカさんは、その曲を再構成してピアノ協奏曲に仕上げました。1873年からの約2年間の兵役の間に全曲を完成させ、除隊後の1875年の自作自演で初演を行いましたが、その後もいろいろと手直しを行い、1877年4月にようやく現在の完成版となっています。本曲は1875年夏にヴァイマルに赴いた時に伝説のピアニスト・作曲家のリストの前で披露し、献呈しています。リストも本曲を演奏会で取り上げられていたそうです。シャルヴェンカさん自身も重要な場面でこの曲を選曲・演奏していらっしゃいます(1879年3月1日の水晶宮におけるイギリスデビュー、1891年1月のアントン・ザイドル指揮でのメトロポリタン歌劇場における初のアメリカ公演)。
本曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の直前(1年ほど前)に書かれたことになります。チャイコフスキーの協奏曲は「定番」を超えて『「三大ピアノ協奏曲」のひとつ』と呼ばれるまでになりましたが、本曲はすっかりその陰に隠れてしまっています。個人的には、本曲もなかなか魅力的でチャイコフスキーの協奏曲と比べても遜色ないように思うのですが、何が運命を分けたのでしょうね。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シャルヴェンカ、クサヴァー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調