一日一曲(1290)ジョリヴェ、アンドレ:マナ

 本日から5回にわたって、没後50年(1974年12月20日没)を迎えらえたフランスの作曲家、アンドレ・ジョリヴェさんを特集いたします。

 ジョリヴェさんは1905年にパリのモンマルトルで生まれました。お父様は技師でアマチュア画家、お母様はピアノ教師でした。幼い頃より母親からピアノ習ったほか、教区神父から典礼音楽と和声学の基礎を学びました。ただ、両親は芸術家の道に進むことには反対だったそうで、師範学校からソルボンヌ大学の進学の過程では、音楽とは関係のない道を選択していました。ところが、ソルボンヌ大学でアンリ・ベルクソンの哲学に触れ、芸術に対する意欲を昂まりました。ただ、卒業後は兵役を務めた後に教師となりました。しかし運命は変転します。1927年に合唱隊指揮者ポール・ル・フレムとの出会いがきっかけとなり、フレムから近代和声学や対位法を学んだほか、自ら当時の最先端の音楽である、シェーンベルク、ベルク、バルトークらの作品を研究しました。こうして現代音楽作曲家としての道を進むことになったジョリヴェさんは、フレムの紹介でエドガー・ヴァレーズに師事、ヴァレーズ流の十二音技法や、実験的音響、打楽器に対する偏愛など、師匠の影響を色濃く受けた曲を発表します。さらに、師ヴァレーズから紹介されたシュールレアリズムの画家や詩人を介しての芸術的刺激も作風に大きく寄与しました。これらに加え、1931年の国際植民地博覧会、1933年の北アフリカへの旅行を通して、異国的・異教的な音楽も体得します。それは、1934年に立ち上げた芸術サークル「若きフランス(ジュヌ・フランス La Jeune France)」に結実します。この芸術サークルは、当時支配的だった新古典主義音楽に対抗し、人間性の回復やベルリオーズへの回帰を目指したものだった、とのことです。

この時期には、国立音楽協会の設立者に名を連ね、文化大臣アンドレ・マルローの顧問やパリ音楽院教授を務めた。日本人では平義久と宍戸睦郎が彼の弟子であり、松平頼則は彼の称賛を得て世に出た。こうしたことから公的な活動や教育のための講演会などがスケジュールの多くを占めるようになったが、それ以後も創作意欲は已むことなく作曲を続けた。

1974年にインフルエンザをこじらせて、69歳で逝去した。日本の朝日新聞ではトップ記事の扱いであった。最後の住居であったパリ7区59 Rue de Varenneに記念碑がある。

本日の曲は、ピアノ曲「マナ」です。1935年、作曲者30歳の時の作品です。曲は6つの小品から構成されており、それぞれ次のような副題がつけられています。
 1:トーテム・ポール
 2:鳥
 3:バリ島の女王
 4:牡山羊
 5:牡牛
 6:ペガサス

 『異質な物から生まれる不思議な力、周囲の人々に及ぼす魔法の力を表現しようとしている』、とのことですが、少々おどろおどろしく、呪術的にも聴こえる本曲をよく説明している文章かと思います。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ジョリヴェ、アンドレ:マナ

ジョリヴェ、アンドレ:マナ(MP3ダウンロード)

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