一日一曲(1351)ダラピッコラ、ルイージ:パガニーニのカプリッチョによるカノン風ソナチネ
本日は、没後50年(1975年2月19日没)を迎えらえたイタリアの作曲家、ルイージ・ダラピッコラさんの曲をご紹介します。
ダラピッコラさんは1904年に現在はクロアチアの都市であるパジンで生まれました。お父様はイタリア語学校の校長先生だったそうですが、政治的抗争の真っ只中で一家は一時拘留されるなど、苦難の幼少期を過ごされました。1920年代にフィレンツェ音楽学校でピアノの学位をとり、1931年には同校の教授となり、1967年に老人病により継続できなくなり引退するまで副科ピアノを教えられました。幼少期の体験も影響もあったのかもしれませんが、ダラピッコラさんは政治信条と密接にかかわった人生を送られました。当初、プロパガンダを信用してムッソリーニを援助していましたが、1930年代にはいると第二次エチオピア戦争やスペイン内戦へのイタリアの介入に反対する政治的視点を熱烈にもつようになりました。ムッソリーニがアドルフ・ヒトラーの人種観に賛同したことはダッラピッコラさんのユダヤ人の妻ラウラ・ルッツァートにとって脅威となりました。ダラピッコラさんの代表作『囚われ人の歌 Canti di prigionia』(1938-41)とオペラ『囚われ人 Il prigioniero』(1944-48)は、この激しい悩みを反映した作品と評価されています。大戦後はアメリカを頻繁に訪れ、活躍されました。その縁で1956年にはニューヨーク市立大学クイーンズ校で作曲の教授を務められました。1972年以降は健康を害して作品を完成させることができなくなり、1975年にフィレンツェで肺水腫のため死去されました。
本日の曲はヴァイオリンの鬼才ニコロ・パガニーニの「24の奇想曲」を元に作曲された「パガニーニのカプリッチョによるカノン風ソナチネ(ソナタ・カノニカ)」です。1942年から1943年にかけて作曲されました。4つの楽章から構成されており、各楽章は以下の原曲を基にしています。
第1楽章:第20番
第2楽章:第19番
第3楽章:第11番
第4楽章:第14番
一番有名で、数多の作曲家がこぞって取り上げて変奏曲を書いている「第24番」は入っていません。慎重に避けたのかもしれません。原曲の美しさとダラピッコラさんの個性とが絶妙にコラボしています。個人的には第1楽章の前半と後半のゆっくりしたテンポの部分が印象に残りました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ダラピッコラ、ルイージ:パガニーニのカプリッチョによるカノン風ソナチネ