一日一曲(1407)カリージョ、フリアン:前奏曲
本日は、生誕150年(1875年1月28日生)を迎えらえたメキシコの作曲家兼指揮者兼ヴァイオリニスト、フリアン・カリージョさんの曲をご紹介します。
カリージョさんはメキシコ中部の村、アフアルルコ村で生まれました。両親の19番目の子供だったそうです。アワルルコの教会の児童合唱団でに加わり、歌っていましたが、合唱団の指揮者がカリージョさんの音楽的才能を見出し、州都サンルイス・ポトシで音楽を学ぶよう計らってくれました。カリージョさんは2年間そこで勉強した後、1885年にサンルイスポトシ市のオーケストラで働き始めました。そこで作曲も始めるようになり、1894年にはミサ曲を作曲、地元で成功を収めました。これにより、サンルイスポトシ政府からの推薦状とともに、メキシコシティの国立音楽院で学ぶ道が開かれました。カリージョさんの才能は音楽院で急速に進歩しました。数学的な才能も持ち合わせていたカリージョさんは微分音音楽に興味を持ち、理論的研究を進めました。1899年には、メキシコ大統領ポルフィリオ・ディアス将軍はより特別な奨学金をが与えられ、ライプツィヒ王立音楽院に留学しました。音楽院ではピアノ、作曲、和声、対位法の研鑽を重ねました。この時期、2つのヴァイオリン、2つのヴィオラ、2つのチェオロンチェロのための六重奏曲ト長調(1900年)やオーケストラのための交響曲第1番ニ長調(1901年)など、いくつかの作品を作曲しました。また、ライプツィヒ王立音楽院管弦楽団を指揮し、交響曲第1番の初演を行いました。その後、ヴァイオリンの技術向上のためゲント王立音楽院に入学し研鑽を重ねています。1904年にゲント音楽院国際ヴァイオリンコンクールで最優秀賞を受賞、その年の後半にメキシコに戻りました。ディアス大統領より、外国での彼の優れた演奏に対して「メキシコ国家からの贈り物として」アマティのヴァイオリンが贈られました。1906年には国立音楽院の教授に任命され、歴史学、作曲、対位法、フーガ、オーケストレーションなどを教えました。1913年には国立音楽院の校長に指名され、活躍の幅を広げられました。ところが、ヴィクトリアノ・ウエルタが政権を握ったことで、アメリカへ逃れることとなり、ニューヨーク市に落ち着くことになりました。そこでカリージョさんはアメリカ交響楽団を組織、指揮者とし活躍されました。その後1918年にメキシコに戻り、国立交響楽団の指揮者に選ばれました(1918-1924)。彼はまた、国立音楽院の校長(1920–1921)に任命されました。1965年9月9日にメキシコシティで90歳の長寿を全うされました。
本日の曲は、無伴奏ヴァイオリンのための「前奏曲」です。しっとりとした、それでいて情熱的な曲です。さすが、ヴァイオリニストとして活躍されていただけあって、ヴァイオリンの「歌わせ方」を熟知されていらっしゃいます。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
カリージョ、フリアン:前奏曲