一日一曲(1473)シュラー、ガンサー:打楽器と鍵盤のための大協奏曲

 本日は、生誕100年(1925年11月22日生)及び没後10年(1925年6月21日没)を迎えらえたアメリカの作曲家兼指揮者兼ホルン奏者、ガンサー・シュラーさんの曲をご紹介します。

 シュラーさんはニューヨーク市で生まれました。父親はニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリニストだったこともあり、早くから音楽の英才教育を受けました。セントトーマス合唱学校でフレンチホルンとフルートを学びました。15歳のときには既にアメリカンバレエシアターでプロとしてホルンを演奏しており、その後、シンシナティ交響楽団(1943-45年)、そしてニューヨークのメトロポリタンオペラオーケストラで首席ホルン奏者に任命され、1959年までそこで活躍されました。出身校であるマンハッタン音楽学校での教授活動も熱心に行いました。クラシックの世界だけではなく、マイルス・デイヴィス(1949-50)と録音活動を行うなど、ジャズでのキャリアも積み傘ました。1955年、シュラーさんはジャズピアニストのジョン・ルイスとモダン・ジャズ・ソサエティを設立し、同年にニューヨークのタウンホールで最初のコンサートを行いました。後にこのソサエティは、「ジャズ・アンド・クラシック・ミュージック・ソサエティ」として知られるようになりました。1957年にブランダイス大学で講義をしていたとき、クラシックとジャズのテクニックを組み合わせた音楽を表すために「サードストリーム」という用語を作り出しました。シュラーさんはこのスタイルの熱心な支持者となり、その原則に従って多くの作品を創りました。
1959年、シュラーさんは作曲、教育、執筆に専念するために、演奏活動の方は指揮以外はほとんどあきらめました。1960年代と1970年代には、シュラーさんはニューイングランド音楽院の学長を務め、ニューイングランド・ラグタイム・アンサンブルを設立しました。また、1970年から1984年までタングルウッドミュージックセンターの芸術監督を務め、タングルウッド現代音楽祭を創設し、タングルウッドの夏の家でさまざまな役職を歴任しました。1993年から亡くなるまで、シュラーさんはワシントン州スポケーンで開催されたノースウェスト・バッハ・フェスティバルの芸術監督を務めました。2015年6月21日、白血病の合併症によりボストンで89歳で亡くなられました。

 本日の曲は「打楽器と鍵盤のための大協奏曲」です。本曲では合計100以上もの打楽器及び鍵盤楽器によって演奏されています。いろいろな音が出てくるので音の違いを意識して聴いていると楽しめそうです。曲の終わり近くは、多くの楽器が演奏に参加し、めくるめく音の饗宴が栗路ゲラれます。指揮は作曲者自身です。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます
シュラー、ガンサー:打楽器と鍵盤のための大協奏曲

シュラー、ガンサー:打楽器と鍵盤のための大協奏曲(CD)

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です