一日一曲(1494)芥川也寸志:交響三章

 本日から5回にわたって、生誕100年(1925年7月12日生)を迎えらえた日本の作曲家、芥川也寸志さんを特集いたします。

 芥川也寸志さんは小説家・芥川龍之介の三男として東京市滝野川区(現:東京都北区)田端で生まれました。程なく父は1927年に自殺してしまいましたので、父と過ごした期間はごく短いあいただけでした。父の遺品であるSPレコードを愛聴、とりわけストラヴィンスキーに傾倒し、独自に作曲のまねごともするようになりました。小学校の頃は音楽の成績は悪かったそうですが、1941年、東京高等師範附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)4年在学時に初めて音楽を志し、猛勉強を開始しました。が、無理が祟って肋膜炎を患ってしまいました。1943年、東京音楽学校予科作曲部(現:東京芸術大学音楽学部作曲科)に合格したものの、校長から呼び出しを受け、受験者全員の入試の成績一覧表を示されて「お前は最下位の成績で辛うじて受かったに過ぎない。大芸術家の倅として、恥ずかしく思え!」と叱責されたとのことです。1944年10月、学徒動員で徴兵され陸軍戸山学校軍楽隊に配属されました。8か月の教育期間を首席で卒業し、銀時計を賜ったそうです。その後、作曲係上等兵として終戦まで勤務。様々な隊歌や軍楽隊向けの作編曲を行いました。1945年8月の終戦で東京音楽学校に戻り、1947年に同校本科を首席で卒業、1949年には同校研究科を卒業しました。在学中に作曲した『交響三章』や『ラ・ダンス』などが、ヒット作としてこのころしばしば演奏されています。

 本日の曲は、1948年、東京音楽学校研究科在籍中に書かれた「交響三章」をどうぞ。1948年8月30日に完成し、1948年9月26日、NHKラジオ放送より作曲者指揮東京フィルハーモニー交響楽団による演奏で初演?が放送されました。急-緩-急の三楽章形式で、それぞれ「カプリッチョ」「ニンネレッラ(子守歌 Ninnerella:)」「フィナーレ」と副題が付けられています。第2楽章は作曲中の1948年7月の長女誕生が大きく影響しています。深い愛情と喜びがひしひしと感じられます。一転、第三楽章は快活で、熱狂の渦に聴衆を巻き込むエネルギーに満ちています。この好対照な落差が聴衆をぐいぐいと「芥川也寸志」の世界に引き込んでいるのでしょう。

ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
芥川也寸志:交響三章

芥川也寸志:交響三章(MP3ダウンロード)

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です