一日一曲(1537)ツィンツァーゼ、スルハン:ピアノのための24の前奏曲
本日は、生誕100年(1925年8月23日生)を迎えらえたグルジアの作曲家、スルハン・ツィンツァーゼさんの曲をご紹介します。
ツィンツァーゼさんは1925年にグルジアのジョージア州ゴリで生まれました。7歳の時にトビリシに移り住み、そこでチェロのレッスンを受け始めましたが、あふれる才能を目の当たりにした教師・両親は、すぐにトビリシ国立音楽院の新しい英才児科に入学させ、音楽の勉強をさせました。音楽院在学中にGSSR国立交響楽団でも演奏しました。また、1944年にはジョージア州立弦楽四重奏団の創設に関わり、初代のチェリストとして1946年まで活動しました。1945年から1953年までモスクワ国立チャイコフスキー音楽院に留学し、チェロと作曲の研鑽を重ねました。その後、作曲家として様々なジャンルで作品を発表し、好意的な評価を受けました。1950年代から1960年代にかけては『トンボ』(1954年)、『バシ・アチュキ』(1956年)、『女の重荷』(1958年)、『マイア・ツクネテリ』(1959年)、『兵士の父』(1964年)など、数多くの映画音楽の作曲も担当しました。1963年からトビリシ国立音楽院でオーケストレーションのクラスを教え、1973年からオーケストレーションの教授になりました。1965年から1984年まで、音楽院の学長を務めました。学長を辞任した後、1984年から1991年までグルジア作曲家連合の会長を務められました。また、グルジア・ソビエト社会主義共和国の映画撮影連合のメンバーでもありました。グルジア人民芸術家賞(1961年)とソ連人民芸術家賞(1988年)、四重奏曲第2番と3つのミニチュアでソ連スターリン賞(1950年)、グルジア政府からザハリア・パリアシビリ賞(1974年)とショタ・ルスタヴェリ賞(1981年)を受賞するなど、数々の栄光に浴しました。1991年9月、66歳でトビリシで亡くなりました。1964年生まれの息子イラクリは、1976年から1986年まで父親が学長を務めていたトビリシ国立音楽院で学び、作曲家となりました。で
本日の曲はピアノ独奏曲「ピアノのための24の前奏曲」です。1971年、作曲者46歳の時の作品です。グルジアのピアニスト、ロマン・ゴレラシビリのために書かれました。数多の同名の作品と同じく、24のすべての調性を用いて作曲されています。並び順は、ハ長調→イ短調→ト長調とだんだんシャープのカウが増えていく5度上昇の順です。これまでの同名曲に勝るとも劣らぬ内容です。個人的には激しい第6番、幻想的な第7番、複雑なリズムの第9番あたりが印象に残っています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ツィンツァーゼ、スルハン:ピアノのための24の前奏曲