一日一曲(1598)スカルラッティ、ドメニコ:ソナタ ニ長調 K.96/L.465/P.210
本日は、一昨日の作曲家の息子であり、昨日所作曲家の甥にあたるイタリアの作曲家、ドメニコ・スカルラッティさんの曲をご紹介します。
ドメニコ・スカルラッティさんは1685年10月に有名な作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの子(10人兄弟の6番目)として、イタリアのナポリで生まれました。幼少期いつどのように音楽教育を受けたかは定かではないのですが、音楽一族の生まれですので、自然と音楽に触れ、また、手ほどきを受けていたことは間違いないでしょう。1701年9月13日にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に15歳で就任し、活躍が始まりました。この頃のナポリは、ナポリ副王を狙った暗殺未遂であるマッキア侯の陰謀事件やスペイン継承戦争などの政情不安や、父アレッサンドロの勤めていた宮廷での不定期な給料の支払いによる経済的な不安定さなどがありました。その影響で、1702年には一時的に父とともにナポリを去り、フィレンツェに移りました。フィレンツェではナポリでの政治的な騒乱を避けるため4ヶ月以上滞在し、同年11月にはナポリに戻りました。この頃、ドメニコさんの最初のオペラである「オッタヴィーア」と「ジュスティーノ」が1703年12月19日に初演されています。父の命令によって1705年にヴェネツィアに移り、その後1709年からはローマに住み、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督の職を得ました。また、サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂で働き、1714年末に音楽監督に昇進しました。ローマ時代にはヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話が残っています。1714年にポルトガル大使のフォンテス侯爵と知り合ったことが機縁で、1719年ポルトガル王ジョアン5世はドメニコさんを王室礼拝堂の音楽監督に任命しました。1729年にマリア・バルバラがスペイン王家の王太子フェルナンドに嫁いだため、ドメニコさんはマドリードへ移りました。1738年に、ジョアン5世はドメニコさんをサンティアゴ騎士団の騎士に叙した。ドメニコさんは最初のソナタ集である「Essercizi per gravicembalo」(チェンバロ練習曲集、30曲。K.1-30)を出版し、ジョアン5世に献呈しています。ドメニコさんの名声はこの曲集によってヨーロッパ中に広がりました。ドメニコさんは1757年にマドリードで亡くなられました。「小惑星6480 Scarlatti」はドメニコさんにちなんで1988年に命名されています。
本日の曲はチェンバロ独奏曲「ソナタ ニ長調 .96/L.465/P.210」です。555曲遺されたチェンバロ独奏曲の中でもかなり上位に位置する人気曲です。作品番号の分類が3種類もあります!
K(Kkとも表記されます): カークパトリック番号(ラルフ・カークパトリック(1953年))
L: ロンゴ番号(アレッサンドロ・ロンゴ(1906年))
P: ペステッリ番号(ジョルジオ・ペステッリ(1967年))
明るく派手な曲想で、技巧的にも華やかな作品です。人気があるのもうなずけますね。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
スカルラッティ、ドメニコ:ソナタ ニ長調 K.96/L.465/P.210
