一日一曲(1603)シュトラウスII世、ヨハン:皇帝円舞曲
本日は、生誕200年(1825年10月25日生)を迎えらえたオーストリアの作曲家、ヨハン・シュトラウスII世さん特集の5回目、最終回です。
1844年のデビューから50年後の1894年、10月15日前後にヨハン・シュトラウスII世さんの音楽家生活50周年のための一連の祝賀行事が盛大に催されました。この他にも、「シュトラウス祝賀委員会」とは関係のない祝賀行事が、ウィーンの街の至るところで開かれ、『Fremden-Blatt紙』は「ウィーン音楽が演奏される酒場において、祝われるべき人に思いをはせなかったところはひとつもない」と評しました。ヨハン・シュトラウスII世さんは、「充分すぎるよ。私はこれに見合うことはしていない。充分すぎないかい?」という言葉を残したといわれています。この数年前には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世以上の票を得て「世界三大有名人」の一人に選ばれるなど、ヨハン・シュトラウスII世さんの人気は絶頂にありました。歳を取ってもヨハン・シュトラウスII世さんは、黒々とした髪、ゆたかな髭、若々しい肌、伸びた背筋を保っていました。そのためヨハン・シュトラウスII世さんはしばしば「永遠の若者」と呼ばれていました。実は、髪の黒さは染め粉、髭はポマード、肌は紅、背筋は燕尾服の下のコルセットのおかげであったそうです。人々の前では元気にふるまいながらも、家に帰れば疲れ果てた様子でソファーに倒れこむような状態だったとのことです。老いは確実にヨハン・シュトラウスII世さんの体を蝕んでいました。ヨハン・シュトラウスII世さん自身も死がそう遠くないことを悟っていたようで、作品番号の付けられた最後の作品『ライムント時代の調べ』は、まるで生涯を回想するかのような作品となっています。大指揮者グスタフ・マーラーから、ウィーン宮廷歌劇場で上演するバレエ曲(『灰かぶり姫』というシンデレラ物語)を委嘱されたましたが、ヨハン・シュトラウスII世さんの存命中には完成せず、未完のまま世を去ることとなりました。1899年の5月下旬、劇場で自作曲の指揮をしていたヨハン・シュトラウスII世さんはひどい悪寒をおぼえ、数日後に無理を押してサイン会を開いた後、その晩から寝込んでしまいました。何人かの医師が診察した結果、当時は命取りの病とされた肺炎であることが判明しました。妻アデーレはヨハン・シュトラウスII世さんに本当の病状を隠し、「神経痛ですから、しばらく我慢してね。すぐに良くなるわよ」と嘘をついたそうです。書きかけのバレエがよほど気になっていたようで、作業を中断せざるをえない悔しさを幾度となく口にしていたとのことです。肺炎に侵された体をむりやり起こし、作曲の筆をとろうとしたこともありました。が、容態は悪化。高熱に襲われ、幻覚症状におちいったヨハン・シュトラウスII世さんには、周囲の人形がバレリーナに見えた、との話が伝わっています。6月3日、前の晩から付きっきりで看病していた妻アデーレから「あなた、お疲れでしょう。少しお休みになったら……」と言われたヨハン・シュトラウスII世さんは、微笑んで「そうだね。どっちみちそうなるだろう……」と答えて目をつぶりました。これがヨハンの最後の言葉となりました。その日の午後4時15分、ヨハン・シュトラウスII世さんは妻に看取られながら死去しました。享年75。なお、マーラーは未完の作品を上演することはありませんでした。
ヨハン・シュトラウスII世さんが死去したという知らせを受けたウィーン市は、ただちにウィーン中央墓地の中に特別墓地を設けることを決定しました。葬式には10万人の市民が参列されたとのことです。ヨハン・シュトラウスII世さんの死から5年後の1904年、シュトラウス記念像を建立しようとする動きが高まったのですが、その途上でサラエボ事件が起こり、建設には至りませんでした。第一次世界大戦に敗北して共和制に移行したオーストリアについて、「ヨハン・シュトラウスとともに、ハプスブルク帝国も死んだ」といった評価がされることもあります。黄金に輝くシュトラウス記念像が建立されたのはそれから17年後の1921年でした。が、贅沢すぎるとの批判を受けて、黒色に塗り替えられました。1991年にあらためて元の金色に塗り直されたヨハン・シュトラウス記念像は、現在、ウィーンの代表的な観光名所のひとつとして親しまれています。
本日の曲はワルツ「皇帝円舞曲」です。三大ワルツの中では最も遅い1889年に作曲されました。当初は ドイツ帝国の首都ベルリンで建設された新しいコンサートホール「ケーニヒスバウ(国王の建築)」の「こけら落とし演奏会(5日間にわたって開催されました)」用に作曲された曲でした。出版の段階で、出版社が本曲の題名を「皇帝円舞曲」にした方が良い、と主張、本人もそれを了承してタイトルが決まりました。初演から大好評を博した本曲は、ヨハン・シュトラウスII世さんの代表作の1曲となりました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シュトラウスII世、ヨハン:皇帝円舞曲
