一日一曲(1608)ダールジンシュ、エミールス:憂鬱なワルツ

 本日は、生誕100年(1925年9月19日生)を迎えらえたラトビアの作曲家、エミールス・ダールジンシュさんの曲をご紹介します。

 ダールジンシュさんは当時ロシア帝国(現在はラトビア)のヤウンピエバルガで生まれました。両親はともに音楽に理解があり、ダールジンシュさんは両親から最初の音楽教育を受けました。幼少期はどちらかというと病弱の部類だったようで、3歳のときに読書中に視力に過度に負担をかけた結果、視力を失いそうになったとう話が伝わっています。また、日光アレルギーと診断されたため、5年間、真っ暗な部屋で暮らしていたそうです。ようやく8歳のときに通常の生活に戻ることができました。1897年、モスクワ音楽院で勉強を始めましたが、突然の病気のために退学を余儀なくされました。その後、サンクトペテルブルク音楽院のオルガンクラスに入学しましたが、経済的困難のため、1901年春、学業を終えずにリガに戻り、音楽評論家、教師、合唱団指揮者として働き始めました。1903年11月にはマリヤ・デイデレと結婚しましたが、終わりのない物質的な困難や、ダールジンシュさんのアルコール依存症の強まりもあって、結婚生活は幸せなものではなかったとのことです。1906年に息子のヴォルフガングスが、1908年にはタチアナが生まれました。1908年の初めに、ダールジンシュさんの2つのオーケストラ作品がリガで演奏されましたが、これらは他のラトビアの作曲家から激しい否定的な批判に遭いました。盗作とまで言われたそうです。この件で精神的に打撃を受けたダールジンシュさんは、すべてのオーケストラ作品を破棄してしまいました。同年末、オペラ「ロジャイナース・ディエナス」の制作を開始しましたが、未完成のままとなってしまいました。1910年8月31日にダールジンシュさんは事故で34歳の若さで亡くなられました。その原因は今でも論争の的となっていて、電車の下に落ちて自殺したと推定されているとのことです。

 本日の曲は管弦楽曲「憂鬱なワルツ」です。本曲は1908年の騒動の時に破棄された作品ですが、ダールジンシュさんの死後に復元されました。1904年、作曲者29歳の時の作品です。破棄されるに値するような駄作とは思われないですね。復元された曲補他にもあったのかどうか…。貴重な人類の財産が失われてしまっているかもしれません。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ダールジンシュ、エミールス:憂鬱なワルツ

ダールジンシュ、エミールス:憂鬱なワルツ(MP3ダウンロード)

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です