一日一曲(1621)アンドリーセン、ルイ:私を忘れないで

 本日は、昨日ご紹介した作曲家の弟である作曲家、ルイ・アンドリーセンさんの曲をご紹介します。

 ルイ・アンドリーセンさんは兄ユリアーンさんの誕生から14年後の1939年6月6日にオランダ中部の街ユトレヒトで生まれました。父親の作曲家ヘンドリクから幼少の頃より手ほどきを受け、ハーグ王立音楽院に進学、1961年に一等賞で卒業しました。その後ミラノとベルリンで研鑽を重ね、ました。1961年から65年まで、日刊紙「De Volkskrant」に寄稿、1966年から69年まで「De Gids」誌に寄稿するなど、活躍されました。1969年の「ノーテンクラーカーズ行動(Notenkrakersactie)」として知られるコンサート妨害事件にルイさんは深く関与したことで知られています。1969年11月17日、アムステルダムのコンセルトヘボウで行われたオランダ放送フィル演奏会中、ルイ・アンドリーセンや作曲家・音楽家仲間(メンデルスゾーン四重奏団のメンバー、作曲家ペーター・シャットら)が舞台上に登場し、演奏を止めるよう要求しました。ルイさんらはオランダの音楽界が保守的で前衛音楽を十分に取り上げず、新しい音楽のための制度改革や作曲家への支援が欠けていると批判し、現代音楽の機会拡大と音楽文化の民主化を求めました。
この事件は物議を醸しましたが、オランダの音楽制度に変革を促し、後のシュタットアンサンブル(後のアンサンブル・モデルンなど新音楽団体の潮流)や実験音楽の発展に繋がる重要な転機となりました。ルイさんの政治性と社会改革志向が鮮明に示された出来事として知られています。また、20世紀後半の前衛的でミニマリストな運動であるハーグ学派の創設者の一人としても精力的に活動されました。教育面では、1974年に王立音楽院の教員に加わり、1974年から1978年まで楽器演奏を教え、1978年から2012年まで作曲を教えました。1987年にはイェール大学からの招聘を受け、理論と作曲の講義を行いました。また、ニューヨーク州立大学バッファロー校(1989年)とプリンストン大学(1996年)の客員講師も担当されています。2004年にはライデン大学芸術学部教授に就任しています。2021年7月1日にウィースプで82歳で亡くなりました。

 本日の曲は、オーボエとピアノのための小品「私を忘れないで」です。約4分ほどの短い曲です。同じような音型が繰り返されつつ、ただし少しずつ変形(少しずつ高い音が追加される形)されていきます。物悲しいメロディです。約1分ほどの「塊」が4回繰り返されますが、伴奏ピアノの音型がより複雑になる形に変化されています。これが4回繰り返されます。この部分、題名「私を忘れないで」にリンクしているのかもしれません。4回繰り返したのち、3分42秒あたりからいきなりワルツのリズムで明るいメロディが奏でられ、それが続いていくかと思いきや、唐突に曲は終了となります。楽しかった時間が突然断ち切られたかのような印象を受けます。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
アンドリーセン、ルイ:私を忘れないで

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