一日一曲(1657)ダーヴィト、トーマス・クリスティアン:三重奏曲第3番「Aziz Djune」

 本日は、生誕100年(1925年12月22日生)を迎えらえたオーストリアの作曲家、トーマス・クリスティアン・ダーヴィトさんの曲をご紹介します。

 ダーヴィトさんは1925年12月22日にオーストリア中央部の街ヴェルスで生まれました。9歳の時に作曲家の父と母と共にドイツへ移住しました。トーマスの弟ルーカス・デイヴィッド(1934年生まれ)は後にヴァイオリニストとなりました。ライプツィヒの聖トマス学校で学び、またトーマナー合唱団のメンバーとしても研鑽を重ねました。その後、ライプツィヒ音楽院とザルツブルクのモーツァルテウムで学びました。1948年にシュトゥットガルトに移り、テュービンゲンで音楽学を学びました。1945年から1948年までモーツァルテウムで教鞭をとりました。さらに、1948年から1957年まで南ドイツのマドリガル合唱団の指揮者およびシュトゥットガルト歌劇場の声楽コーチも務めました。1957年からはウィーン音楽芸術大学で教鞭をとりました。1960年にはウィーンで室内合唱団を率いました。1967年、42歳の時に、ペルシャのオペラ歌手マンスーレ(ベジャット)・ガスリと結婚し、イランに移りました。同地でイラン国営テレビNITVのオーケストラの首席指揮者を務め、1973年までテヘラン大学でも7年間教鞭をとりました。ダーヴィトさんはイランにおけるクラシック音楽の発展と発展において、非常に大きくかけがえのない役割を果たしました。1960年代後半から1990年代後半にかけて、イランの様々な会場で数多くの傑作を指揮しました。1974年から1988年まで、ウィーン音楽アカデミーで音楽理論と作曲の教授を務めました。1980年から1995年まで、ベルリンのドイツ交響楽団の首席指揮者を務めました。1986年から1988年の間、オーストリア作曲家協会の会長を務めました。1992年にはカイロ・オペラハウスの芸術監督を務めました。妻マンスーレさんはダーヴィトさんの数か月前の2005年、ウィーンで癌のため亡くなられました。ダーヴィトさんは2006年1月19日に同じくウィーンで80歳で亡くなられました。

 本日の曲はヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための室内楽曲「三重奏曲第3番「Aziz Djune」」です。題名の表記ですが、NMLでは「Aziz Djoune」となっていますが、「Aziz Djune」が正しいので、本ブログでは修正しておきます。
 『Aziz Djune』 はペルシア概念(Persian concept)で “sweetheart”(恋人、最愛の人)に類する意味を持つ、とのことです。それに対応するメロディ/モチーフが各楽章・全体構造に織り込まれているとのことです。また、作曲者のペルシャ文化への敬意や愛着、および音楽における文化的融合 (ヨーロッパとペルシャの融合) が本曲の題名にあらわれているようです。
 曲は、クラリネットの柔らかい線、ヴァイオリンの明るい線、ピアノの和音やパターンが重なり合って、多層的な音響の織物を作っています。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ダーヴィト、トーマス・クリスティアン:三重奏曲第3番「Aziz Djoune」

ダーヴィト、トーマス・クリスティアン:三重奏曲第3番「Aziz Djoune」(CD)

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