一日一曲(1693)シュティーグラー、カール:フォレスト・エコー
本日は、生誕150年(1876年1月27日生)を迎えらえたオーストリアのホルン奏者兼作曲家、カール・シュティーグラーさんの曲をご紹介します。
シュティーグラーさんは1876年1月27日、オーストリアの首都ウィーンで生まれました。幼い頃からホルンを演奏し始めたシュティーグラーさんは、15歳で自身のホルン五重奏団を組織していたそうです。音楽の学業修了後、1896年から1899年までヴィースバーデン宮廷劇場の首席ホルン奏者を務めました。指揮者で作曲家のグスタフ・マーラーは1899年にシュティーグラーさんをウィーンに呼び戻し、1906年までウィーン国立歌劇場の首席ホルンを務めさせました。その後、1906年から1932年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のソロホルンを務めました。シュティーグラーさんは当時最も高収入のソリストの一人でありました。ウィーン・サークルの多くの作曲家が、シュティーグラーさんのためにピアノや室内楽を使ったソロ作品を作曲しました。シュティーグラーさんは、楽器に関して「編曲家、作曲家、理論家として疲れを知らない」人物だったそうです。グスタフ・マーラー、ハンス・リヒター、ブルーノ・ヴァルター、アーノルト・シェーンベルク、リヒャルト・シュトラウス、フランツ・シュミット、マックス・レーガーなど、当時の多くの音楽界の巨匠たちと交流し、友情を保たれていたそうです。また、ホルン教師として大きな影響を与えました。1902年にはウィーン帝国狩猟音楽隊の主任講師となり、1917年から1932年までウィーン国立音楽美術アカデミーの教授を務めました。シュティーグラーさんはあらゆる種類の楽器やホルン音楽の収集家でした。さらに、彼はホルンおよびホルンアンサンブルのための多数の作品を残し、特に狩猟ホルン音楽の保存に焦点を当てていました。シュティーグラーさんはウィーンのFホルンの支持者であり、その人気に大きく貢献しました。1932年6月5日に、ウィーンで56歳の若さで亡くなられました。死の数日前に、左膝の後ろに痛みを伴う腫瘍を患い、アイゼルスベルク診療所で同意を得た結果、外科医ヴォルフガング・デンクによって脚を切断されたのですが、術後に致死的な塞栓症を引き起こしたとのことです。
本日の曲はホルンの合奏曲「フォレスト・エコー」です。曲は、出てくるメロディが、こだま(エコー)のように繰り返される、というごく単純なつくりをしています。ウィーン帝国狩猟音楽隊でよく演奏された曲なのではないでしょうか。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シュティーグラー、カール:フォレスト・エコー
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