一日一曲(1700)シャリト、ハインリヒ:詩編第23編
本日は、没後50年(1976年2月3日没)を迎えらえたオーストリアの作曲家、ハインリヒ・シャリトさんの曲をご紹介します。
ハインリヒ・シャリトは、1886年1月2日にオーストリアの首都ウィーンで生まれました。当時のウィーンは音楽の都として黄金期にあり、彼はそこで最高峰の音楽教育を受けました。1903年にウィーン音楽院に入学、1906年に卒業しました。在学期間中にピアノ四重奏曲ホ短調でオーストリア作曲学生賞を受賞しています。1907年にミュンヘンに移り、そこで個人音楽教師として働き、多数の作品を作曲しました。ピアニストや作曲家として順調なキャリアをスタートさせ、当初はドイツ・ロマン派の流れを汲む華やかな作品を書いていました。
しかし、第一次世界大戦を経て、彼は自分のアイデンティティを深く見つめ直すようになります。1916年から1920年にかけて、当時の政治的出来事の影響を受けて、ユダヤ音楽により重点を置くようになりました。彼は自身をシオニズムに動機づけられたユダヤ人作曲家であると認識していました。1920年代後半からは、ユダヤ教の伝統的な旋律を現代的な感性で蘇らせる「ユダヤ教音楽」の復興に力を注ぐようになりました。1927年には、ミュンヘンの主要な自由主義派シナゴーグのオルガニストに任命されました。
1933年、ナチスがドイツで勝利し、ヒトラーが首相に就任すると、ユダヤ系であった彼はドイツでの活動が困難になりました。シャリトはローマに移住し、ローマの大シナゴーグの音楽監督に就任しました。ムッソリーニ政権下にあったにもかかわらず、イタリア・ファシズムの人種主義的・反ユダヤ主義的側面はまだ顕在化していなかったためです。しかし、1940年には再び移住を余儀なくされました。シャリトはアメリカ合衆国に移住し、ニューヨークやコロラドなどで合唱指揮者やオルガニストとして活躍し、亡命後も精力的に創作を続けました。東海岸と西海岸のいくつかのシナゴーグで奉仕した後、デンバーに定住しました。ロサンゼルスで短期間過ごした後、デンバー地域に戻り、コロラド州エバーグリーンで引退生活を送り、1976年2月3日、同地で90歳の生涯を閉じました。
本日の曲は合唱曲「詩編第23編」です。聖書の中でも特に有名なテキストを題材にしています。「神は私の羊飼い。だから私は何も恐れない」という、深い信頼と安らぎがテーマになっています。シャリットはこの詩編の言葉に、彼自身の亡命体験や苦難を乗り越えた先にある「静かな強さ」を込め、作曲しました。
<聴きどころ>
派手で劇的な展開というよりは、大切な人に語りかけるような、穏やかで包み込むようなメロディが特徴です。まるでお母さんが子供に読み聞かせをしているような、安心感のある響きが続きます。
この曲を聴くときは、ぜひ「目を閉じて、静かな風景」を思い浮かべてみてください。シャリトの音楽は「驚かせるための音楽」ではなく、「心を整えるための音楽」です。忙しい日常の中で、ホッと一息つきたい時に聴くのにぴったりな一曲です。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シャリト、ハインリヒ:詩編第23編
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