一日一曲(1721)オール、チャールズ・ウィルフレッド:私が21歳だった時
本日は、没後50年(1976年2月24日没)を迎えらえたイギリスの作曲家、チャールズ・ウィルフレッド・オール(一般的には『オー』とも表記されます。NMLでは『オール』と表記されていましたので、そちらに従っています。)さんの曲をご紹介します。
【チャールズ・ウィルフレッド・オール:イギリスの歌曲界に静かな光を灯し続けた、繊細なる孤高の叙情詩人】
チャールズ・ウィルフレッド・オールは、1893年10月13日にインド軍大尉だった父が結核で他界した直後にグロスターシャー州チェルトナムで生まれまし た。その歩みは決して平坦なものではありませんでした。幼少期に患った重い病の影響で、彼は生涯を通じて虚弱体質というハンデを背負うことになります。そのため、音楽家としての本格的な教育を受け始めたのは20代半ばを過ぎてからという、当時としては異例の遅咲きのスタートでした。
ロンドンのギルドホール音楽演劇学校で学んだオールでしたが、都会の喧騒は彼の繊細な気質には合いませんでした。彼はやがて、故郷に近いコッツウォルズの美しい田舎町へと居を移します。この地で彼は、終生の敬愛の対象となる作曲家フレデリック・ディーリアスと出会いました。ディーリアスの色彩豊かな和声感覚に、ドイツ・リート(芸術歌曲)の厳格な構築美を融合させること。それがオールの目指した理想の音楽像となりました。
彼は極端なまでの完璧主義者であり、一音たりとも妥協を許しませんでした。納得がいかなければ筆を折り、一曲を完成させるまでに数年を費やすことも珍しくありませんでした。その寡黙な創作姿勢ゆえに、遺された作品はわずか35曲ほどですが、そのどれもが詩人A.E.ハウスマンの詩が持つ「若さの喪失」や「孤独」というテーマと深く共鳴しています。名声を追うことなく、自身の美学だけを信じてペンを握り続けたオールは、1976年2月24日、深い霧に包まれたような静かな時間の流れるペインズウィックの地で、82年の生涯を閉じました。
【本日のご紹介曲:私が二十一だった頃(When I was One-and-Twenty)】
本曲は、詩人ハウスマンの詩集『シュロップシャーの若者』の中でも特に有名な詩に付けられた、オールの代表作です。若さゆえの過信と、時を経て知る手痛い教訓が、皮肉と哀愁を交えた絶妙なニュアンスで表現されています。
<原詩の日本語訳>
二十一歳のとき
ある賢者にこう言われた。
「クラウンやポンドやギニーは与えてしまえ。
だが、心を捧げるな。
真珠やルビーは与えてしまえ。
だが、お前の心(自由)を奪われてはならない。」
しかし私は二十一歳で、
私に話しかけても無駄だった。
二十一歳のとき
また彼にこう言われた。
「心というものは
決して無償で 胸から取り出せるものではない。
それはため息とともに支払われ、
果てしない後悔と引き換えに売られるものなのだ。」
そして私は二十二歳になった。
ああ、それは本当のことだった。
本当に、その通りだったのだ。
【聴きどころ】
1)「賢者の忠告」の重み
曲中で賢者がアドバイスを与える場面では、ピアノの和音がどこか格言を思わせるような、古風で落ち着いた響きを奏でます。この「語りかけるような響き」が、物語の世界観へ一気に引き込んでくれます。
2)対照的な二つの「心の色」
21歳の時の「何もわかっていなかった」軽やかな旋律と、22歳になって「あぁ、本当だった」と悟る瞬間の沈み込むような旋律の対比に注目してください。たった一年で成長(あるいは失意)を経験した若者の心情が見事に音に変換されています。
3)ため息のような終止形
最後に「It is true, it is true(本当に、その通りだった)」と繰り返される部分は、オールの歌曲の中でも最も美しく切ない瞬間の一つです。言葉が消えた後のピアノの余韻が、聴き手の心に深い「後悔の味」を残します。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
オール、チャールズ・ウィルフレッド:私が21歳だった時
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