一日一曲(1744)ティヤルドヴィチ、イーヴォ:フォックストロット「ルル・ラ・ランギッド」

 本日は、没後50年(1976年3月19日没)を迎えらえたクロアチアの作曲家、イーヴォ・ティヤルドヴィチさんの曲をご紹介します。

【イーヴォ・ティヤルドヴィチ:オペレッタ作曲家、画家、衣装デザイナー、さらにはサッカー選手やスプリト市長も務めた、クロアチアが誇る伝説的な「万能の天才」】
 イヴォ・ティヤルドヴィッチ(Ivo Tijardović)は1895年9月18日、ダルマチア地方の美しい港町スプリト(現在はクロアチア領)に生まれました。彼の生涯は、一つの枠に収まりきらない圧倒的な多才さに彩られています。若き日の彼は、音楽や美術に秀でていただけでなく、スポーツにも情熱を注ぐ青年でした。驚くべきことに、彼は地元スプリトの名門サッカーチーム「ハイドゥク・スプリト」の創成期に、実際に選手としてピッチに立ってプレーしていたという、異色の経歴を持っています。
 音楽面ではウィーンで学び、1918年から1923年にかけてはウィーンの出版社「エディツィオン・スラヴ」のために精力的に活動しました。彼はピアノ曲を作曲するにとどまらず、自らオーケストレーションを施し、さらに楽譜の表紙を飾るスタイリッシュなアート・デコ調のデザインまで自ら手掛けるなど、視覚と聴覚の両面で才能を発揮しました。劇場人としては8つのオペレッタを遺し、特に故郷を題材にした作品は今なおクロアチアで国民的人気を誇っています。
 また、彼の多才さは芸術の域を超え、激動の時代に政治の舞台でも発揮されました。第二次世界大戦中、レジスタンス運動に身を投じた彼は、1944年から1945年、そして戦後の1945年から1947年にかけて、故郷スプリトの市長を務め、混乱期の街の復興を支えました。芸術家でありながら、戦時には市民を導くリーダーシップも兼ね備えていたのです。
 戦後はザグレブに移り、国立劇場の館長を務めるなど、クロアチアの文化振興に生涯を捧げました。まさに「万能の人」を地で行く歩みを続けた彼は、1976年3月19日にクロアチアの首都ザグレブで亡くなられました。
 
【本日のご紹介曲:フォックストロット「ルル・ラ・ランギッド」】
本 作は、1921年にウィーン留学中のティヤルドヴィッチによって書かれた、時代の最先端を行くダンス音楽です。
 曲名にある「Languide(ランギッド)」は「物憂い、だるそうな」という意味です。第一次世界大戦後の開放的な空気の中で、当時爆発的に流行していたアメリカ由来の「フォックストロット」のリズムを、ティヤルドヴィッチ流の洗練されたウィーン的センスで調理しています。高度な芸術性を誇示するのではなく、人々を踊らせ、楽しませるための「都会的なエンターテインメント」として書かれた、非常に洒脱な一曲です。

【聴きどころ】
1)「物憂げ」でアダルトな雰囲気
 タイトルの通り、少し気だるさを感じさせる導入から、都会的な夜を彷彿とさせる洗練された旋律が展開されます。
2)小気味よいシンコペーショ
 フォックストロット特有の、拍をずらすリズムがピアノで軽快に奏でられ、聴いていると思わず体が動き出すような楽しさがあります。
3)万能芸術家ならではの「色彩感
 画家としての感性も持ち合わせていた彼らしく、音のひとつひとつが鮮やかな色彩を帯びているような、視覚的な楽しさも感じられる構成です。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ティヤルドヴィチ、イーヴォ:フォックストロット「ルル・ラ・ランギッド」

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