一日一曲(1762)ブーニン、レヴォル・サムイロヴィチ:ソナチネ

 本日は、没後50年(1976年6月3日没)を迎えらえたロシアの作曲家、レヴォル・サムイロヴィチ・ブーニンさんの曲をご紹介します。

【レヴォル・サムイロヴィチ・ブーニン:ショスタコーヴィチの愛弟子であり、伝統的な形式の中に近代的な響きを融合させたソビエト音楽の継承者】
 レヴォル・サムイロヴィチ・ブーニン(Revol Samuilovich Bunin)は、1924年4月6日、ソビエト連邦のモスクワに音楽家の家庭の息子として生を受けました。彼は幼少期から早熟な才能を発揮し、10代半ばにはすでに、後述するピアノ曲のように確かな構成力を持つ作品を書き上げていました。
 彼はモスクワ音楽院で本格的に作曲を学び、20世紀最大の作曲家の一人、ドミートリ・ショスタコーヴィチに直接師事しました。ブーニンは、スヴィリードフやヴァインベルクらと共に、師の音楽語法を最も間近で吸収した「直系の弟子」の一人として数えられます。1945年に同音楽院を卒業した後は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)でショスタコーヴィチの助手を務め、師の作品の校訂を任されるなど、その信頼関係は非常に深いものでした。
 1948年に「ジダーノフ批判(形式主義批判)」の波が押し寄せると、師のショスタコーヴィチと共にブーニンも一時的に公的な活動を制限される苦境に立たされました。そのような厳しい政治状況下においても、彼は西欧的な前衛に走ることなく、伝統的なソナタや交響曲といった形式をあえて維持することで、自身の音楽性を追求しました。彼は共産党への入党を拒否し続けたため、ソビエトの公的な称号とは距離がありましたが、作曲家としての実力は高く評価されており、1970年前後には代表作となる交響曲を次々と発表しています。
 長年、出版社「ソビエト・コンポジター」の編集者として活動し、後進の指導にもあたったブーニンは、生涯を通じて伝統の継承と革新のバランスを保ち続けました。そして、1976年6月3日、持病の喘息が悪化し、生まれ故郷であるモスクワにて52歳の生涯を閉じました。

【本日のご紹介曲:ソナチネ】
 上記の生涯の項で触れた通り、ブーニンが弱冠15歳の時に書き上げたのが、この1939年作曲の「ソナチネ」です。この作品は、提示部・展開部・再現部という3つの部分から成る二主題のソナタ形式という、極めて端正な構造を持っています。しかし、その響きは単なる古典の模倣ではありません。基本となるニ短調の調性は、遠い調性の和音による「侵入」によって絶えず揺さぶられており、伝統を尊重しながらもそれをあえて歪ませるような、若き作曲家の鋭い感性が随所に光ります。

【聴きどころ】
1)伝統を揺さぶる調性の変化
 曲の基調はニ短調ですが、ロ短調など遠い調性の和音による「割り込み」が頻繁に起こり、調性構造が絶えず変形されていく様子が楽しめます。
2)旋法が醸し出す独特の情緒
 第2主題には、古代の旋法の一つである「フリギア旋法」の響きが取り入れられており、通常の短調とは異なるミステリアスなメロディが印象的です。
3)ダイナミックな再現部の演出
 提示部では軽快に跳ねるようだった左手の伴奏が、再現部では重厚な和音へと変化し、小規模な作品ながらも非常に雄大で輝かしい効果を生み出します。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ブーニン、レヴォル・サムイロヴィチ:ソナチネ

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