一日一曲(1037)團伊玖磨:ファゴット四重奏のためのソナタ

 本日は、生誕100年(1924年4月7日生)を迎えらえた日本の作曲家、團伊玖磨さん特集の5回目、最終回です。

 日本を代表する作曲家の一人として活躍された團伊玖磨さんは、2001年5月17日、日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国を訪れていた時に心不全を起こし、江蘇省蘇州市の病院で77歳で逝去されました。

<逸話>
 團さんは、「僕の名前は團であって団ではないのだから、他人宛ての手紙は読んでは悪かろうと遠慮するからである」と言って、「団伊玖磨」の宛名書きで来た郵便物は、一切開封せずに捨てていらしたとのことです。
 先天色覚異常を持っていらしたそうで、小学生の頃に写生の時間に赤い花を緑に描いて教師から激しく叱責されたことがあるとのことです。東京音楽学校の入試に際には、担当の校医が美術学校の入試をも受け持っていたため、色覚異常の故に危うく落とされそうになったが、團さんが必死に懇願したことが功を奏し、なんとか入学が許されたkとのことです。もしここで落ちていたら、大作曲家團伊玖磨は誕生しなかったかもしれません。色覚異常者への差別に憤り、日本色盲協会の結成を考えたこともあるそうです。
 團さんは大のイヌ嫌いで、無駄に吠えるイヌには、それがたとえ友人の飼い犬でも容赦せず体罰を加えたそうです。現代では相当問題になりそうな行動ですね。タロとジロを題材としたラジオドラマの音楽の仕事を断った旨を『パイプのけむり』で言及されていらっしゃいます。一方、好きな動物はヘビで、自宅で飼育していた大蛇が息子の喉に咬みついて大怪我をさせたこともあるそうです。
 戦後まもなく、太宰治の作品を愛読していたため、友人の北山冬一郎(詩人)の紹介で太宰に会う話が持ち上がった。しかし、ダンという苗字から檀一雄を連想した太宰が「ダンという名前なら大酒飲みだろう」と言ったところ、北山が「いや、実は一滴も飲めないんです」と答えたため、太宰が「酒も飲めない奴なんかに用はない」と断った。そのため、とうとう太宰に会うことができなかった、とのことです。
 1992年5月4日に関勉が発見した小惑星17509番は、発見者によって「Ikumadan」と命名されている、とのことです。

 本日の曲は、1988年、作曲者64歳の時に書かれた室内楽作品、「ファゴット四重奏のためのソナタ」です。なんだか、ロバに乗って旅をしているような曲だなあ、と感じました。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
團伊玖磨:ファゴット四重奏のためのソナタ

團伊玖磨:ファゴット四重奏のためのソナタ(CD)

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