一日一曲(1322)クライスラー、フリッツ:美しきロスマリン

 本日は、生誕150年(1875年2月2日生)を迎えらえたオーストリア出身のヴァイオリニスト兼作曲家、フリッツ・クライスラーさん特集の2回目です。

 1895年にはオーストリア帝国陸軍に入隊、親衛隊に配属され、予備役ながら将校に任官しました。一時はヴァイオリンを捨て、軍人になろうと決心したこともありましたが、家庭の都合で除隊の後、音楽界に復帰しました。復帰後、再びヨーロッパ各地で演奏活動を開始していますこの頃から、レパートリー拡大のために少しずつ作曲も始めるようになりました。1899年、アルトゥール・ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演しました。この公演は大ヴァイオリニストであるウジェーヌ・イザイに激賞され、成功裏に終わり、演奏活動はこの頃から軌道に乗り始めました。1902年にはロンドン・デビューを果たし、成功。同時期頃からレコーディング活動も始めました。1901年初夏、アメリカからヨーロッパに戻る船の中の理髪店にて、アメリカ人のハリエット・リースと知り合い、船内で婚約、翌1902年冬にニューヨークで結婚式を挙げています。ハリエットはブルックリンの裕福な煙草商の娘でしたが離婚経験者であり、音楽や楽器の知識や技能はあまり無かったのですが、クライスラーさんの性分やその音楽の才能を把握して理解し、外交的で抜け目無い有能なマネージャーとして彼を支える事となりました。ハリエットはクライスラーさんに対して音楽に関係ないことをやらせず、決められた時間が来るまで部屋に閉じ込めて練習させるなど徹底してクライスラーさんの生活を厳しく管理し続け、対外的には演奏会のギャラの値上げ交渉を行うなどし、なおかつ自分は演奏会の際は楽屋で夫の帰りをひたすら待つなどでしゃばり過ぎない言動をし、結果的にそれはクライスラーが音楽家として大成する一助となりました。

 本日の曲は、昨日ご紹介した「ウィーン古典舞曲集」の第3曲「美しきロスマリン」です。
 第2曲の「愛の悲しみ」は、昨日の第1曲「愛の喜び」と対になっていることもあり、どうしようかと思いましたが、こちらをご紹介することにいたしました。

 本舞曲集は、当初はウィンナ・ワルツの大家である作曲家フリッツ・ライナー作曲として宣伝され、クライスラーさんによって演奏されてきました。
 クライスラーさんは演奏旅行先にある歴史ある図書館などで埋もれていた作品を発掘し、それを演奏会にかけることを楽しみにしていたとのことです。その埋もれた作品をそのまま演奏するのみならず、作品の旋律のごく一部を自作に取り入れ、その自作をしばしば「過去の(忘れられた)作曲家の作品を『再発見』した」と称して演奏・出版していました。本作品もそのような曲の一つにあたります。数十年経ってから本当のことを白状したのですが、クライスラーさんは、「自作ばかりじゃ聴衆が飽きるし、また自分の名前が冠せられた作品だと他のヴァイオリニストが演奏しにくいだろう? だから、他人の名前を借りたのさ」と答えたそうです。

 誰が作曲した云々に関わらず、本作品はじめクライスラーさんの一連の「贋作」は、その偉大な価値を評価されてしかるべき作品であることは、間違いないでしょう。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
クライスラー、フリッツ:美しきロスマリン

クライスラー、フリッツ:美しきロスマリン(MP3ダウンロード)

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