一日一曲(1001)スメタナ、ベドジフ:ピアノソナタト短調
本日から五日間にわたって、生誕200年(1824年3月2日生)を迎えらえたチェコの作曲家兼ピアニスト兼指揮者、ベドジフ・スメタナさんの曲をご紹介します。
スメタナさんは、1824年3月2日、当時はオーストリア帝国(ハプスブルク君主国)領であった、ボヘミア北部の都市リトミシュルで生まれました。子だくさんの家庭に生まれたスメタナさんは、なんと、11人目の子供だったようです。さらに付け加えると、お父様は3人の妻との間に計20名近い子供をもうけたようです。ただ、成人まで生き残ったのが約半数であったそうです。その当時、ボヘミアの公用語がドイツ語であった関係で、スメタナさんはかなり年を取るまで正式なチェコ語を知らないままであったとのことです。後年、かなり苦労されてチェコ語を習得されたようです。
お父様はアマチュアながらヴァイオリン演奏に非常に熱心で、余暇には友人と弦楽四重奏などを楽しんでいらしたそうです。そのような環境の中、スメタナさんは早くから音楽的才能を開花させ、6歳の時にはkピアノの公開演奏をされていらっしゃいます。
1839年にプラハに移り、当初はアカデミック・グラマー・スクールに在学しました。が、学校になじめず次第に登校しなくなっていきます。その代わり、コンサートやオペラに足しげく通い、自作曲のためにアマチュア弦楽四重奏に参加kするなど、充実した音楽生活を送りました。大作曲家で伝説のピアニストでもあるフランツ・リストが、プラハで行ったピアノリサイタルを聴き、スメタナさんは音楽家になる決心をしました。当時のすめたなさんの日記には、「作曲ではモーツァルト、テクニックではリストになるために」と書かれています。
その後、正式な音楽教育を受けることを痛感したスメタナさんは、プラハ音楽大学の長であるヨゼフ・プロクシュよりれっすんをうけることとなりました。貴族であるトゥーン卿の家族の音楽教師の職で経済的な柱を確保し、音楽の勉強が続けられました。
本日の曲は、そのような時期の中、1846年(22歳)に書かれた曲です。4楽章形式で、演奏時間は約30分の大作です。本曲は、トゥーン卿の家で、ロベルトとクララのシューマン夫妻の前で演奏したそうですが、あまり感触はよろしくなかったとのことです。若さ溢れるメロディが印象的です。個人的には第2楽章のメロディの美しさ、第3楽章のピアノの練習曲のようなメロディの取り上げ方などが面白かったです。快活な終楽章も魅力的です。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
スメタナ、ベドジフ:ピアノソナタト短調