一日一曲(1951)クニュプファー、セバスティアン:神よ、われを調べ

 本日は、没後350年(1676年10月10日没)を迎えられたドイツの作曲家、セバスティアン・クニュプファーさんの曲をご紹介します。

【セバスティアン・クニュプファー:厳格な対位法と立体的な多声の響きを磨き、戦乱後のライプツィヒを再び音楽都市へと押し上げ、その伝統をのちのバッハへと手渡した「聖トーマス教会の音響建築家」】
 セバスティアン・クニュプファー(Sebastian Knüpfer)は、1633年、アッシュ(Asch、現在のチェコ共和国アシュ)に生まれたドイツの作曲家、教会音楽家です。現存するアッシュの教会簿では1633年9月6日に洗礼を受けたことが確認されています。一方、当時の追悼文などには9月7日を誕生日とする記録もあるため、正確には「9月6日受洗」とするのがもっとも慎重です。父ヨハン・クニュプファーは当地のカントル兼オルガニストで、セバスティアンは父から最初の音楽教育を受け、10歳頃には教会でオルガニストの務めを果たしたとも伝えられています。
 1646年、13歳頃にレーゲンスブルクのギムナジウム・ポエティクムへ入り、1654年まで学びました。ここでは音楽だけでなく、詩学、古典語、文献学など幅広い人文学を修め、奨学金も受けています。1654年にはライプツィヒへ移り、音楽教師として働く一方、教会合唱では低音歌手としても活動しました。大学に正式に在籍したことは確認されていませんが、神学者・哲学者ヨハン・アダム・シェルツァーら大学関係者との交流を通じて哲学や文献学の研究を続け、音楽家としてだけでなく優れた学識の持ち主としても知られるようになりました。
 1657年、聖トーマス教会のカントル、トビアス・ミヒャエルが亡くなると、その後任選考に応募し、同年7月17日に若くしてトーマスカントルに任命されました。以後19年間、聖トーマス学校の音楽教育だけでなく、聖トーマス教会や聖ニコライ教会を中心とするライプツィヒの教会音楽を率いました。三十年戦争の影響などで停滞していたライプツィヒの音楽活動は彼の時代に再び活気を取り戻し、クニュプファーの名声は市外にも広がりました。今回のCD解説にも、彼が「中部ドイツの重要な音楽家」へ成長し、その名声によって他都市にも招かれたことが記されています。
 クニュプファーの音楽には、パレストリーナ以来の緻密な対位法と、17世紀に発展したコンチェルタート様式による華やかな響きが共存しています。特に複数の声楽群や楽器群を組み合わせた宗教声楽作品に優れ、後にヨハン・シェッレ、ヨハン・クーナウ、そしてヨハン・セバスティアン・バッハへと受け継がれていくライプツィヒ聖トーマス教会の音楽的伝統を支えました。クニュプファーは1676年10月10日、ライプツィヒで43歳の生涯を閉じました。

【本日のご紹介曲:神よ、われを調べ(Erforsche mich, Gott à 8)】
 本作品は、ライプツィヒ市長クリスティアン・ローレンツ・フォン・アドラースヘルムの妻で、詩人でもあったヨハンナ・ローレンツ・フォン・アドラースヘルムの葬儀のために作曲されました。ヨハンナは1673年4月28日に亡くなり、5月14日に行われた葬儀でこのモテットが歌われました。彼女の死を悼んで、ライプツィヒの名士たちが詩を寄せた追悼冊子まで刊行されたといいます。
 歌詞は旧約聖書の詩篇139篇23~24節です。

「神よ、私を探り、私の心を知ってください。
私を試し、私の思いを知ってください。
私が悪しき道にあるかを見て、
永遠の道へと導いてください。」

 編成は、ソプラノ、アルト、テノール、バスからなる4声合唱を2組並べた8声二重合唱と通奏低音です。「à 8」は「8声のための」という意味になります。二つの合唱が向かい合い、応答したり重なったりすることで、わずか数分の作品ながら奥行きのある音響空間が作られています。
 そしてこの曲をいっそう興味深いものにしているのが、ヨハン・セバスティアン・バッハとの関係です。
 クニュプファーの死から約70年後、トーマスカントルとなっていたバッハはこの作品を自ら取り上げ、1746年頃に演奏したと考えられています。しかもバッハ自身の手による演奏用パート譜が残されています。バッハはこの作品の演奏用パート譜を作成し、第1合唱を弦楽器、第2合唱を木管または金管楽器で補強する形で演奏したと考えられています。つまりバッハは、単に遠い昔の前任者の作品として保存したのではなく、自分の時代の演奏に合わせて音響を作り直し、実際に響かせたのです。

【聴きどころ】
1)二つの合唱がつくる「問いかけ」と「こだま」
 まず耳を向けたいのは、8つの声部が一つの大きな塊になるのではなく、4声+4声という二つの合唱群として響くところです。一方の合唱が言葉を投げかけると、もう一方がそれを受け取り、やがて双方が重なって大きな響きになります。「Erforsche mich, Gott、神よ、私を探ってください」という言葉そのものが、まるで教会空間の中で反響しながら自分自身へ戻ってくるようです。

2)葬送曲なのに、悲嘆そのものを描かない音楽
 この曲は葬儀のために書かれていますが、歌詞そのものには「死」や「悲しみ」という言葉は含まれていません。語られるのは、自分の心を神の前にさらし、正しい道へ導いてほしいという祈りです。そのため音楽も、激しく嘆き悲しむというより、内面を静かに見つめるような厳粛さを持っています。追悼冊子ではヨハンナの死が「鷲のように天へ飛び立った」とバロックらしいイメージで表現されており、このモテットにも、死を終わりではなく永遠へ向かう通過点として捉える当時の宗教観が感じられます。

3)「バッハなら、ここをどう聴いたのだろう?」
 そして最大の聴きどころは、少し時間旅行をして聴いてみることです。クニュプファーがこの曲を書いた1673年、バッハはまだ生まれていません。それから約70年後、バッハはこの楽譜を手に取り、第1合唱には弦、第2合唱には管楽器を重ねて再び演奏しました。二つの合唱が呼応するたびに、「ここに弦楽器が重なったら」「こちらに管楽器の色が加わったら」と想像してみると、作品の立体感がさらに鮮明になります。クニュプファーからバッハへ、楽譜そのものが時代を越えて手渡された一曲として聴くと、4分ほどのモテットの向こうに、ライプツィヒ教会音楽の長い歴史が見えてきます。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
クニュプファー、セバスティアン:神よ、われを調べ

クニュプファー、セバスティアン:神よ、われを調べ(Amazom Music)

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