一日一曲(1954)ロパトニコフ、ニコライ:ピアノ三重奏曲イ短調
本日は、没後50年(1976年10月7日没)を迎えられたロシア系アメリカ人の作曲家、ニコライ・ロパトニコフさんの曲をご紹介します。
【ニコライ・ロパトニコフ:革命と亡命の時代をロシアからフィンランド、ドイツ、イギリス、アメリカへと渡り歩き、ロシア的な叙情と鋭いリズム、明晰な新古典主義を結びつけた「越境するモダニスト」】
ニコライ・リヴォヴィチ・ロパトニコフ(Nikolai Lvovich Lopatnikoff)は、1903年3月16日、当時ロシア帝国領だったレヴァル、現在のエストニアの首都タリンに生まれました。幼いころ一家はサンクトペテルブルクへ移り、ロパトニコフはサンクトペテルブルク音楽院でピアノと音楽理論を学びました。しかし1917年のロシア革命を受けて一家はフィンランドのヘルシンキへ移住。1918年から1920年にかけてヘルシンキ音楽院でエリク・フルイェルムに音楽理論を学びました。
その後ドイツへ渡り、ハイデルベルクでヘルマン・グラプナー、マンハイムではエルンスト・トッホやヴィリー・レーベルクらに学びました。一方、音楽だけで生計を立てることへの不安もあり、カールスルーエ工科大学で土木工学を専攻し、1927年に卒業しました。しかしその間も作曲を続け、ピアノ協奏曲や交響曲、室内楽作品などを次々に書いています。
音楽家としての転機となったのは1927年でした。バーデン=バーデンの音楽祭で自動ピアノのための作品を聴いたアーロン・コープランドがロパトニコフに注目し、指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーに紹介します。クーセヴィツキーは作品の管弦楽化を依頼し、翌1928年にはボストン交響楽団が《序奏とスケルツォ》を演奏しました。この出会いをきっかけに両者の長い交流が始まり、クーセヴィツキーとボストン交響楽団はその後もロパトニコフの作品を取り上げました。第1交響曲はヨーロッパとアメリカで演奏され、1930年にはドイツの放送協会から賞を受け、フィラデルフィア管弦楽団の演奏旅行のレパートリーにも選ばれています。
ベルリンを拠点に活動したのち、1936年にロンドンへ移り、BBCのための編曲や個人教授などを行いました。1939年にはアメリカへ移住し、1944年にアメリカ国籍を取得。ハート音楽大学やウェストチェスター音楽院で教えたのち、1945年からピッツバーグのカーネギー工科大学、現在のカーネギーメロン大学で作曲を教え、1969年の退職まで後進を育てました。1963年にはアメリカ芸術文学界の重要機関であるナショナル・インスティテュート・オブ・アーツ・アンド・レターズの会員に選出されています。
作品には4曲の交響曲、2曲のピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、歌劇《ダントン》、弦楽四重奏曲やピアノ三重奏曲など多数があります。ロシア音楽に根ざした豊かな感情表現を残しながら、明快な構造、強いリズム感、変化する調性や緊密な動機展開を取り入れた独自の新古典主義的な作風を築きました。
1976年10月7日、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグの自宅で、うっ血性心不全のため73歳で亡くなりました。
【本日のご紹介曲:ピアノ三重奏曲イ短調Op.23】
本曲は、ロパトニコフがベルリンを拠点に活動していた1932年に書かれた4楽章の作品です。三重奏曲は作曲者自身の記録によれば、1938年にロンドンでグリンケ・ピアノ三重奏団によって初演され、その年にタリンとヘルシンキ、翌1939年にはアムステルダムでも演奏されました。しかし、その後作品はほとんど忘れられてしまいました。
現在ロパトニコフの資料庫には2種類の自筆稿が残っており、ブラームス・トリオは両者を比較しながら、作曲者による削除・追加、強弱、フレージング、アーティキュレーションなどの修正過程を検討して演奏版を作成しました。そして2021年にモスクワ音楽院大ホールで録音され、2025年にNaxosから世界初録音として発売されました。
音楽は、ロシアのピアノ三重奏曲の伝統を受け継ぎながら、それを20世紀のモダニズムの視点から大胆に組み替えたものです。古いロシアを思わせる響きや鐘、嘆きの身振り、バロック的な修辞、ジャズやフォックストロットのリズムまでが入り交じります。Naxosの解説では、こうしたさまざまな様式をいったん「原子」にまで分解し、そこからロパトニコフ独自の音楽世界を作り上げた作品と評されています。
第1楽章 Allegro はソナタ形式。チェロが主題を提示するという、チャイコフスキーやラフマニノフらのロシアのピアノ三重奏曲を思わせる伝統的な始まりですが、音楽はすぐに硬質な不協和音や執拗なリズムによって現代的な表情へ変貌します。主題の中心となる「2度」の音程は、やがて泣き声や嘆きを思わせる形に変化し、作品全体を貫く重要なモティーフとなります。
第2楽章 Scherzo: Allegro molto vivace は一転して軽快ですが、単純なスケルツォではありません。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲をほのめかすように始まり、プロコフィエフを思わせる半音階、スウィングやフォックストロットのリズム、鐘の響きなどが次々と現れます。1920~30年代ベルリンのキャバレー文化まで連想させる、皮肉とユーモアに満ちた楽章です。
第3楽章 Andante は暗い予言のような音楽です。ゆっくりした舞曲が次第に葬送行進曲のような表情へ変わり、ピアノによる遠い鐘の響きと、弦楽器の生命感を失ったようなオスティナートが印象的な場面を作ります。
そして終楽章 Allegro molto では、それまでの楽章の主題が再び現れ、激しい民族舞曲の渦へ吸い込まれていきます。最後は舞曲が狂ったように加速し、ストラヴィンスキーの《兵士の物語》を思わせる悪魔的なエネルギーの中で作品を閉じます。
【聴きどころ】
1)「ロシアの伝統」と「モダニズム」がぶつかる第1楽章
冒頭ではチェロが歌うような主題を奏で、一見すると19世紀ロシア室内楽の世界が始まったように聞こえます。ところが、その旋律をピアノの鋭い和音や不規則なリズムが切り裂いていきます。懐かしいロシアと冷徹な20世紀が同じ画面に重なって見えるところが、この作品最大の魅力の一つです。
2)スケルツォに忍び込むジャズとキャバレー
第2楽章では、三連符の流れの上にスウィングやフォックストロット風のリズムが顔を出します。メンデルスゾーン以来のピアノ三重奏曲の伝統を引用しながら、そこへ当時の都会的なダンス音楽を混ぜ込むところが実にロパトニコフらしいところです。軽快なのにどこか落ち着かず、笑っている仮面の奥に不安がのぞくような音楽になっています。
3)第3楽章の「鐘」から、終楽章の死の舞踏へ
特に耳を澄ませたいのが第3楽章後半です。ピアノに遠くから響く鐘のような音型が現れ、その下で弦楽器が無機質な反復を続けます。そして終楽章では、それまで登場した主題が次々に巻き込まれながら激しい舞曲へ変貌します。Naxosの解説では、この終楽章と10年以上後のショスタコーヴィチ《ピアノ三重奏曲第2番》終楽章との類似も指摘されています。後世のロシア音楽を知っている耳ほど、「193②年にもうこんな音楽を書いていたのか」と驚かされる部分です。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ロパトニコフ、ニコライ:ピアノ三重奏曲イ短調
ロパトニコフ、ニコライ:ピアノ三重奏曲イ短調(Amazon Music)
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