一日一曲(1956)リヒター、マーガ:ピアノソナタ
本日は、生誕100年(1926年10月21日生)を迎えられたアメリカの作曲家、マーガ・リヒターさんの曲をご紹介します。
【マーガ・リヒター:内なる感情や自然、絵画から受けた印象を、「旋律・神秘・論理」を備えた濃密な音のドラマへと変えた、20世紀アメリカの「心象の作曲家」】
マーガ・リヒター(Marga Richter、本名 Florence Marga Richter)は、1926年10月21日、アメリカ・ウィスコンシン州リーズバーグに生まれました。母アイネズ・チャンドラーはソプラノ歌手、父方の祖父リヒャルト・リヒターはドイツの作曲家・指揮者という音楽一家で育ち、4歳からピアノを学び、12歳頃には作曲を始めました。1943年、一家は彼女によりよい音楽教育を受けさせるためニューヨークへ移住。1945年にジュリアード音楽院へ入学し、当初はピアノを専攻してロザリン・テューレックに学びましたが、のちに作曲へ転じ、ウィリアム・バーグスマとヴィンセント・パーシケッティに師事しました。1949年に学士号、1951年に修士号を取得しています。
学生時代にはマショー、バッハ、ベートーヴェン、バルトーク、ホヴァネス、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーらから影響を受け、卒業後はニューヨークで知り合った優れた演奏家たちにも刺激されながら作品を書きました。やがて自然や視覚的な体験が重要な創作源となり、ジョージア・オキーフの絵画、ニューイングランドの冬景色、チベットの風景なども作品へと姿を変えていきます。オペラ、管弦楽、バレエ、室内楽、歌曲、ピアノ曲など150曲を超える作品を残しました。代表作には《Abyss》《Landscapes of the Mind》《Qhanri》などがあります。1972年にはハーバート・ドイチュとロングアイランド作曲家同盟を創設。女性作曲家として演奏機会を得ることの難しさにも直面しながら、長い創作活動を続けました。2020年6月25日、ニュージャージー州バーナガットの自宅で93歳の生涯を閉じました。
【本日のご紹介曲:ピアノソナタ】
本曲は1954年、リヒターが20代後半に作曲した全3楽章の作品で、彼女の初期を代表する大作です。1956年にカール・フィッシャーから出版され、同年には名ピアニスト、メナヘム・プレスラーによってMGMレコードに録音されました。一方、公開初演はそれより後の1964年、ニューヨークのタウン・ホールでレノア・エングダールによって行われています。1981年にはヴィヴィアン・テイラーがロンドンのウィグモア・ホールでヨーロッパ初演し、『デイリー・テレグラフ』でも高く評価されました。
興味深いのは、その作曲方法です。リヒター自身によれば、作品はもともと現在の第1楽章の速い部分から書き始められました。ところが、それだけでは「何かが違う」と感じ、そこから前へ戻るように音楽を書き足していった結果、現在の長大な緩徐序奏が生まれました。そして、その序奏で生まれた素材が後続部分にも広がっていったのです。完成形を先に設計するというより、音楽そのものに導かれながら形を発見していく、リヒターらしい創作姿勢がよく現れたエピソードです。
第1楽章は、長く静かな旋律的序奏で始まります。ここには、後に展開される音楽のいわば「種子」となる動機がすでに埋め込まれており、それらが次第に変形・発展しながら激しい急速部へと進み、やがて主題がカノン風に重なり合う大きなクライマックスへ到達します。第2楽章では、静かでどこか夢見るような旋律を短9度を中心とする伴奏音型が支えます。しかしその静けさは徐々に姿を変え、冒頭の旋律と伴奏が荒々しく変貌する激しい頂点へ。その後は再び力を失うように静まり、柔らかな短9度の上昇音型の中へ消えていきます。
第3楽章には「Furioso(激しく)」と記され、第1楽章を思わせる旋律素材が猛烈な運動の中に現れます。その疾走は途中で幾度か遮られながらも再び勢いを取り戻し、終盤では交互に打ち鳴らされるオクターヴが最後の爆発を導きます。そして最後に、第1楽章冒頭の旋律が大きく回帰します。作品の最初に鳴ったE(ホ)の音へと再び戻って全曲を閉じることで、三つの楽章が巨大な一つの円環として結ばれます。激しい不協和、鋭いリズム、抒情的な旋律を抱えながら、全体が論理的に一つへ収束していくところに、リヒターが自ら作曲の理想として掲げた「旋律・神秘・論理」の三つが鮮やかに表れています。
【聴きどころ】
1)第1楽章の長い序奏に隠された「音楽の種」
冒頭のゆっくりした旋律は単なる前置きではありません。ここに現れる小さな音型が、速度を増し、姿を変え、組み合わされながら楽章全体へ成長していきます。特に、静かな独白のように始まった音楽が次第に緊張を高め、複数の声部が追いかけ合うカノン風のクライマックスへ到達する過程に注目です。しかも、この序奏が後から付け加えられたという作曲秘話を知って聴くと、「後から生まれた序奏が曲全体の遺伝子になった」という面白さが見えてきます。
2)第2楽章、短9度がつくる静けさと凶暴さの落差
穏やかな旋律の背後で繰り返される短9度の響きは、美しいのにどこか落ち着かない、不思議な空気を生み出します。その静かな世界が少しずつ緊張を増し、やがて同じ素材が激烈な姿へ変貌する瞬間がこの楽章最大の聴きどころ。頂点を越えた後、音楽が再び静まり、短9度の音型が遠ざかるように消えていく余韻も印象的です。
3)第3楽章の疾走と、第1楽章へ戻る円環構造
「Furioso」の指示通り、終楽章は冒頭から激しい推進力に満ちています。疾走する音楽が何度も寸断され、そのたびに再始動する緊迫した展開、終盤のオクターヴ連打は圧巻です。しかし最大の仕掛けは最後。激しい運動の果てに第1楽章冒頭の旋律が堂々と戻り、ソナタ冒頭と同じE音で終わります。24分余りの旅を経て出発点へ帰還する瞬間に、この作品が単なる3楽章の集合ではなく、一つの大きな物語として設計されていたことが浮かび上がります。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
リヒター、マーガ:ピアノソナタ
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