一日一曲(1367)ラヴェル、モーリス:ヴァイオリンソナタ(遺作)
本日から5回にわたって、生誕150年(1875年3月7日生)を迎えらえたフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルさんを特集いたします。
ラヴェルさんはフランス南西部、スペインにほど近いフランス領バスク地方のシブールで生まれました。一家は間もなくパリに移住、ラヴェルさんはフランスの首都で育つことになりました。母マリー(1840年-1917年)はバスク人、父ジョゼフ(1832年-1908年)はスイス出身の発明家兼実業家でした。ラヴェルさん自身は生後3カ月しかバスク地方滞在しておらず、その後25年間戻ることはなかったのですが、母親の存在を通じてバスクの文化的な遺産を学び、影響を受けました。最初の思い出は母親が彼に歌ったバスク民謡だったそうです。また、成人してからは定期的にサン=ジャン=ド=リュズに戻り、休日を過ごしたり仕事をしたりしていました。父親が音楽好きで、その影響で幼少のころからピアノや作曲を学び始めました。パリ音楽院に進学し、作曲やピアノの研鑽を重ねました。1895年にパリ音楽院のピアノのクラスと和声のクラスを除籍になり、1897年からはアンドレ・ジェダルジュの元で個人的に対位法とオーケストレーションを学びました。その後、1898年にパリ音楽院に再入学してガブリエル・フォーレの作曲クラスに編入しました。同年3月5日の国民音楽協会第266回演奏会から作曲家として公式にデビュー、この時から作曲家として認められることとなりました、ただ、作曲の大胆さとシャブリエとサティへの賞賛が、伝統主義が支配的な当時の作曲界の中で多くの反目を買うことにもなりました。
本日の曲は遺作のヴァイオリンソナタです。ただ、遺作という名称が付いていますが、作曲されたのは1897年4月、ラヴェルさん22歳の時でした。初の室内楽作品となった本曲は、初演も行われたのですが、何らかの理由でラヴェルさんは本作品をお蔵入りとしてしまいました。その後、本作品は出版されることもなく、自筆譜の所在も分からなくなってしまいました。ラヴェルさんの死後38年が経った1975年に、ラヴェルの研究者であるニューヨーク市立大学クイーンズ校アーロン・コープランド音楽学校教授アービー・オレンシュタインが、南フランスのサン=ジャン=ド=リュズを訪れ、ラヴェルさんの財産の相続人であるアレクサンドル・タヴェルヌ夫人が所有する、1200ページもの自筆譜やスケッチなど未公開のコレクションを閲覧・写真撮影する許可を得、その中から「1897年4月」との書き込みのある、未完のまま失われていた本作品の自筆譜を発見しました。その後、2010年6月にヒースローで開催したオークションの出品物に、ラヴェル直筆による書き付けのあるサイン帳が発見されました。その中には、1929年6月の日付で、本作品の冒頭のフレーズが手書きで書かれ、次のような文が書かれていました。『ポール・オベルデルフェールへ、未完のヴァイオリンソナタ第1番(18・・)の初演の思い出に』この発見により、初演者の判明と、「未完の」とあることから、最初から単一の楽章として構想されたのではなく、複数楽章の作品として作曲する予定があったことが明らかとなりました。
若書きの本作品は、研究者から作曲技法の未熟さが指摘されていますが、旋律の美しさなど、ラヴェルさんの個性は十分発揮されていて、後年の傑作群を予感させる作品となっています。録音も多数あるほか、演奏会でも結構取り上げられている人気曲のひとつです。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ラヴェル、モーリス:ヴァイオリンソナタ(遺作)