一日一曲(1790)マムロク、ウルズラ:2000 Notes
本日は、没後10年(2016年5月4日没)を迎えらえたドイツ生まれのアメリカ人作曲家、ウルズラ・マムロクさんの曲をご紹介します。
【ウルズラ・マムロク:現代音楽の旗手として、緻密かつ詩的な音世界を追求し続けた表現者】
ウルズラ・マムロク(Ursula Mamlok)は、1923年2月1日にドイツのベルリンで生を受けました。幼い頃から音楽に親しみ、ピアノ、音楽理論、作曲をグスタフ・エルネストのもとで学び、早くから創作の才能を現していました。しかし、10代半ばでナチス政権によるユダヤ人迫害の激化に直面します。1938年にはユダヤ系であることを理由に学校から追放され、1939年、わずか16歳で家族とともにエクアドルへの亡命を余儀なくされました。この厳しい状況下でも彼女は音楽を諦めず、翌1940年には奨学金を得て単身アメリカへと渡り、マンネス音楽学校に入学しました。
アメリカでの生活は、新たな音楽探求の連続でした。ジョージ・セルらに師事し、1944年にはエルンスト・クルシェネクの指導を受けて初期の作風を築きます。1947年にドワイト・マムロクと結婚した後も学びを続け、1950年代にはマンハッタン音楽学校でヴィットリオ・ジャンニーニから厳格な対位法を学び、修士号を取得しました。彼女の音楽人生に最大の転換が訪れたのは1960年代のことです。ラルフ・シェイピらのもとで「不協和対位法」を学んだことで、それまでの新古典主義的なスタイルから、厳格でありながらも詩的な抒情性を失わないシリアル主義へと劇的に進化を遂げたのです。
彼女はニューヨーク大学やマンハッタン音楽学校などで40年以上にわたって教鞭を執り、後進の育成に尽力しながら、室内楽を中心に60曲以上の精緻な作品を書き上げました。その音楽性は高く評価され、アメリカ芸術文学アカデミー賞など数多くの栄誉に輝いています。
80歳を超えてもなお、彼女の人生には劇的なドラマが待っていました。2006年、最愛の夫ドワイトを亡くした9か月後、彼女は83歳にして、かつて命からがら逃げ出した故郷ベルリンへ戻るという驚くべき決断を下します。かつて自分を拒絶した都市は、今や彼女を世界的な巨匠として迎え入れ、彼女もまたベルリンを拠点に新たな創作意欲を燃やしました。2016年5月4日、ベルリンの地で93歳で亡くなるその直前まで、彼女の心には音楽が鳴り響いていました。晩年、自らの人生を振り返り「もしすべてが順風満帆だったら、今のような音楽は書いていなかったでしょう」と語ったという、その不屈の精神は今も作品の中に息づいています。
【本日のご紹介曲:2000 Notes(2000年のための音符)】
この曲は、新しい千年紀(ミレニアム)の到来を祝うプロジェクトのために書かれたピアノ独奏曲です。タイトルの「Notes」には、音楽の「音符」という意味と、新しい時代へ向けた「短い手紙(メッセージ)」という二つの意味が込められています。本曲は作曲者にとって約半世紀ぶりのピアノのための主要な作品となりました。
【聴きどころ】
1)「無愛想」から始まる不思議な構成
第1楽章には「Gruff(無愛想に)」という指示があり、短い音の断片が積み重なっていく、まるでパズルを組み立てるような独特の響きを楽しむことができます。
2)幻想的な音の重なり
第3楽章では、低い音で繰り返される一定のリズムの上に、優雅なメロディが重なります。音が少しずつ増えていく様子は、非常に幻想的です。
3)圧倒的なフィナーレ
最終楽章(第4楽章)は、ピアノの鍵盤をフルに活用した非常に速く、力強い動きが特徴です。最後は、鍵盤の広い範囲を同時に叩くような衝撃的な音で劇的に締めくくられます。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
マムロク、ウルズラ:2000 Notes
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