一日一曲(1253)リャプノフ、セルゲイ・ミハイロヴィッチ:12の超絶技巧練習曲
本日は、没後100年(1924年11月8日没)を迎えらえたロシアの作曲家兼ピアニスト、セルゲイ・ミハイロヴィッチ・リャプノフさんの曲をご紹介します。
リャプノフさんは1859年にロシア西部の街ヤロスラーヴリでうまれました。8歳の時に父親が死去、転居先のニジニ・ノヴゴロドで新設されたロシア音楽協会支部の公開講座に学んだことがこの道に入るきっかけとなりました。大ピアニストであるニコライ・ルビンシテインの推薦により、1878年にモスクワ音楽院に進学し研鑽を重ねました。1883年に卒業後、当時のロシア作曲界の巨匠ミリイ・バラキレフと初めて出逢い、それから1885年にサンクトペテルブルクに行きバラキレフ宅に身を寄せ、バラキレフ晩年の時期において最も重要な一員となりました。同郷出身のバラキレフは、この控えめな青年ピアニストを保護し、1860年代に「ロシア五人組」のメンバーに対して行なったように、リャプノフ青年の成長を近くで見守ることとなりました。その後リャプノフさんは帝国地理協会の民謡収集部で活躍し、さらに帝室礼拝堂における准音楽監督としての地位を得、活躍の幅を広げられました。その後1911年よりサンクトペテルブルク音楽院教授に就任、後進の指導にも熱心にあたられました。革命の時代を過ごした後、1923年に故郷を離れてパリに移り、同地のロシア亡命者の子息のために音楽学校を組織しましたが、その翌年の1924年に心臓発作により64歳で亡くなられました。作曲の作風としては、後期ロマン派音楽に属しており、師匠バラキレフの影響を色濃く受け継いでいらっしゃいます。リャプノフさんは優れたピアニストであったので、ピアノ曲やピアノのための協奏的作品、声楽曲におけるピアノパートは、作曲家としての力量が最大限に発揮されています。
本日の曲は、リャプノフさんお得意のピアノ曲の中でも、もっとも有名で、かつ傑作の誉れ高い『12の超絶技巧練習曲作品11』です。大作曲家であり、伝説のピアニストでもあったフランツ・リストの追想作品として1897年から1905年にかけて作曲されました。
リストは「超絶技巧練習曲集」として12曲からなるピアノ曲を作曲しましたが、リストの当初の構想ではすべての長調と短調で24の練習曲を作曲する予定でした。しかし、リストはこのプロジェクトの半分(ニュートラルキーとフラットキーの長短調の12曲)しか完成させずに、この世を去りました。そこで、リャプノフさんはリストの構想を完成させることを試み、、自ら残りの12のシャープキーを使用した練習曲集を作曲しました。本作品はリストに捧げられており、12曲の副題もリスト及びリストの超絶技巧練習曲集にちなんで名付けられています。
第1番 嬰ヘ長調『子守歌 Berceuse』
第2番 嬰ニ短調『幽霊の踊り Ronde des Fantômes』
第3番 ロ長調『鐘 Carillon』
第4番 嬰ト短調『テレク Térek』
第5番 ホ長調『夏の夜 Nuit d’été』
第6番 嬰ハ短調『嵐 Tempête』
第7番 イ長調『牧歌 Idylle』
第8番 嬰ヘ短調『叙事詩 Chant épique』
第9番 ニ長調『エオリアン・ハープ Harpes éoliennes』
第10番 ロ短調『レズギンカ Lesghinka』
第11番 ト長調『妖精の踊り Ronde des sylphes』
第12番 ホ短調『フランツ・リストを偲ぶエレジー Elégie en mémoire de François Liszt』
本曲では、民謡や教会の鐘の音、コーカサス地方のメロディーや豪華なメロディズムなど、あらゆる民族主義のテクニックが駆使され、詰め込まれています。技巧的にもリストの作品に勝るとも劣らぬレベルに仕上がっており、限りなくしなやかな演奏技巧を必要とする、非常に高度な練習曲集となっています。どの曲も素敵ですが、最終曲が圧巻です。演奏時間も一番長く、リャプノフさんのリストへの想いがぎっしりと詰め込まれています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
リャプノフ、セルゲイ・ミハイロヴィッチ:12の超絶技巧練習曲