一日一曲(1281)ブリヨン・ド・ジュイ、アンヌ=ルイーズ:ピアノソナタ第1番ハ短調
本日は、没後200年(1824年12月5日没)を迎えらえたフランスの作曲家、アンヌ=ルイーズ・ブリヨン・ド・ジュイさんの曲をご紹介します。
ブリヨン・ド・ジュイさんは1744年にパリで生まれました。旧姓はボイヴァン・ダルダンクールだそうで、王立税務官の家庭に育ちました。子供の頃にチェンバロを弾くことを学びました。成長したブリヨン・ド・ジュイさんは、パッシーの田舎にある自宅で週二日サロンを開催し、それが評判となりました。サロンではパリを行き交う海外の音楽家たちと共演されていたそうです。ブリヨン・ド・ジュイさんは公の場で演奏したり、作曲が出版されたりしていないにもかかわらず、作曲家・音楽家として優れた評判を獲得しました。作曲家チャールズ・バーニーは彼女について、「彼女はヨーロッパで最も偉大なチェンバロ奏者の一人です」と書いています。ヨハン・ショーベルト、ルイジ・ボッケリーニ、チャールズ・バーニー、エルンスト・アイヒナー、アンリ・ヨーゼフ・リゲルなど、多くの作曲家がブリヨン・ド・ジュイさんにソナタなどを捧げています。例えばボッケリーニは1767年に「ピアノフォルテとヴァイオリンのための6つのソナタ作品5」をブリヨン・ド・ジュイさんに献呈されていますが、その時にこう述べられています。「マダム、私はこれまでキーボード用に作曲したことがありません。あなたがその楽器で演奏するのを聞いて、それからこのソナタを書きました。彼らを通じて私があなたに捧げる敬意は、同時に、ふさわしい賛辞であり、偵察の一つでもあります。あなたは彼らを鼓舞し、彼らを飾り立てます。」1763年10月に22歳年上の税務官ジャック・ブリヨン・ド・ジュイ(1722-1787)と結婚し、2人の娘、クネゴンドとアルデゴンドをもうけました。1824年12月5日にカルヴァドスのヴィレール・シュル・メールで79歳で亡くなりました。
遺された作品は90ほどです。ほとんどは器楽室内楽です。自分自身の演奏のために書かれたものと、2人の娘と一緒に演奏するための曲では当然ながら難易度等が著しく違っています。自分自身の演奏のために書かれたピアノ曲は、新しい鍵盤のテクニックや響きを取り入れた名人芸であり、ツェルニーやリストなど、後のピアニスト・作曲家に関連する多くの革新的なテクニックが取り入れられています。
本日の曲は「ピアノソナタ第1番ハ短調」です。2楽章形式で演奏時間約8分の短い曲です。本曲はハ短調という短調の曲です。ベートーヴェンほどの激しさはありませんが、暗い激情ほとばしる曲想となっています。約四半世紀遅れて登場するベートーヴェンの音楽の先駆けとなっているようにも聴こえます。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ブリヨン・ド・ジュイ、アンヌ=ルイーズ:ピアノソナタ第1番ハ短調