一日一曲(1946)ボノンチーニ、ジョヴァンニ・マリア:死にゆくクレオパトラ
昨日は、没後300年を迎えたアントニオ・マリア・ボノンチーニをご紹介しました。今日は一代さかのぼり、その父ジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ(Giovanni Maria Bononcini)を取り上げます。
【ジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ:モデナのヴァイオリン楽派を背負い、対位法を理論で解き、ソナタの新しい形を実践で切り拓いた、ボノンチーニ家の「音楽設計者」】
ジョヴァンニ・マリアは1642年、モデナ近郊のモンテコローネに生まれ、9月23日に洗礼を受けました。出生そのものは22日または23日とされ、正確な日については資料に揺れがあります。ヴァイオリンと作曲を、モデナ宮廷の器楽奏者を率いていたマルコ・ウッチェリーニに学び、さらにルッカ出身のアゴスティーノ・ベンディネッリ神父から対位法と作曲を学びました。
1666年に《音楽の庭の初穂 Primi frutti del giardino musicale》作品1を出版したのを皮切りに、ヴァイオリンを中心とした器楽曲を次々と世に送り出します。1667年には《室内および舞踏のためのソナタ》作品2、1669年には《音楽の庭のさまざまな花》作品3を出版。そこでは、対位法的な書法と舞曲の親しみやすさを結びつけながら、教会ソナタと室内ソナタがそれぞれ独自の形を整えていく時代の最前線に立っていました。後世のコレッリへとつながるイタリア器楽音楽の流れを考えるうえでも、見逃せない存在です。
1671年にはモデナ大聖堂のヴァイオリニストとなると同時に、エステ家の宮廷器楽アンサンブルでも演奏するようになりました。そして1673年にはモデナ大聖堂の楽長に選ばれます。同じ1673年に出版したのが、代表的な音楽理論書《Musico prattico》作品8です。対位法を中心に作曲の実践を体系的に解説したこの著作は版を重ね、1701年には一部がドイツ語にも翻訳されました。理論を本の中に閉じ込めるのではなく、自らの作品で実際に鳴らしてみせたところに、ジョヴァンニ・マリアの面白さがあります。
私生活では1662年にアンナ・マリア・プレツィイと結婚し、後に作曲家となるジョヴァンニ、そして昨日ご紹介したアントニオ・マリアらをもうけました。しかし1677年6月、妻アンナ・マリアはアントニオを出産した直後、35歳で亡くなります。ジョヴァンニ・マリアは幼い子どもたちを抱え、同年10月にバルバラ・アニェーゼ・トザッティと再婚しました。二人の間に生まれたジョヴァンニ・マリア・アンジェロも、後に音楽家となっています。
ジョヴァンニ・マリア自身も長くは生きられませんでした。没日には資料によって異同があり、フランス国立図書館(BnF)の典拠データなどでは1678年11月18日、Treccaniの『イタリア人名辞典』では12月19日とされています。ここでは11月18日を採用します。モデナで36歳の生涯を閉じました。
わずか36年の生涯でしたが、その音楽と理論は息子たちへと受け継がれていきました。昨日ご紹介したアントニオ、そして明日ご紹介するその兄ジョヴァンニ。その二人の背後には、ヴァイオリンを手にしながら新しい器楽音楽の形を模索した、この父の姿がありました。
【本日のご紹介曲:《死にゆくクレオパトラ》Cleopatra moribonda】
今回ご紹介する《死にゆくクレオパトラ(Cleopatra moribonda)》は、1677年にボローニャで出版された《独唱のための室内カンタータ第1集 Cantate per camera a voce sola》作品10に収められたカンタータです。詩はジュリオ・チェーザレ・グラッセッティ。ソプラノと通奏低音というごく小さな編成で、ローマの捕虜として凱旋式に引き回されることを拒み、死を選ぼうとするエジプト女王クレオパトラの最期を描きます。
作品はレチタティーヴォ、アリオーソ、アリアを細かく交替させながら進みます。楽譜上では13の部分に分かれ、冒頭のレチタティーヴォ「Per non calcar di Roma」に続いて、
「Morrò misera sì, vincesti o sorte」
「そう、哀れな私は死ぬ。運命よ、お前が勝った」
という言葉がアリオーソとして繰り返し戻ってきます。これが作品全体を貫く、いわばクレオパトラの「運命の言葉」になっています。
彼女はかつての栄光を回想しながら、「ローマの凱旋式を飾る奴隷にはならない」と宣言します。しかし、その誇りだけで終わるわけではありません。残される子どもたちへの思いが胸をよぎり、やがて毒蛇による死を迎えようとする場面へと進みます。女王としての矜持、敗者としての絶望、母としての苦悩。それらが十数分の中で次々と表情を変えていきます。
Treccaniもこの作品を、ジョヴァンニ・マリア晩年の声楽作品の中でも特に劇的な構想を持った「場面」として注目しています。理論家、ヴァイオリニスト、器楽作曲家という印象の強い人物から、これほど生々しい感情のドラマが飛び出してくる。その意外性が本曲の最大の特徴です。
【聴きどころ】
1)たった「一人の声+通奏低音」から生まれる、小さなオペラ
編成はソプラノと通奏低音だけ。それなのに、聴いているうちに舞台や人物の姿まで見えてくるようなのが、この作品の面白さです。レチタティーヴォではクレオパトラの言葉が語るように進み、アリアに入ると時間がふっと止まり、一つの感情が拡大されます。「物語を進めるレチタティーヴォ」と「心の中を覗き込むアリア」の切り替えに注目すると、後のバロック・オペラへとつながる劇的な音楽作りがよく分かります。作品そのものが、一人の歌手による小さな舞台劇になっています。
2)何度も戻ってくる「Morrò misera sì, vincesti o sorte」
この曲の耳の目印になるのが、「私は死ぬ、運命よ、お前が勝った」という言葉です。物語の節目ごとにアリオーソとして戻ってきますが、その間にクレオパトラの心理は少しずつ変化していきます。最初は敗北を認める言葉だったものが、やがてローマへの服従を拒む決意となり、最後には本当に死が目前に迫った言葉へ変わっていきます。同じ言葉なのに、戻ってくるたび意味の温度が変わる。 ここはぜひ意識して聴きたいところです。最後には「Languido(物憂く、弱々しく)」という指示のもと、この言葉がもう一度現れます。
3)「女王の誇り」と「一人の母の悲しみ」が入れ替わる瞬間
クレオパトラは「鎖につながれてアウグストゥスの凱旋を飾ることはない」と強く言い放ちます。ところが、やがて思いは残される子どもたちへ移り、音楽の表情も揺らぎ始めます。そして毒蛇による死へ。英雄的な女王像だけではなく、恐れ、怒り、誇り、悲しみが入り交じる一人の人間としてクレオパトラを描いているところに、このカンタータのドラマがあります。声の華やかさより、言葉が感情へ変わる瞬間に耳を向けると、この作品の凄みがいっそう伝わってきます。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ボノンチーニ、ジョヴァンニ・マリア:死にゆくクレオパトラ
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