一日一曲(696)シャーウッド、ゴードン:ピアノ協奏曲
本日は、没後10年(2013年5月2日没)を迎えらえたアメリカの作曲家、ゴードン・シャーウッドさんの曲をご紹介します。
シャーウッドさんは1929年にイリノイ州エバンストンで生まれました。幼い頃に妹と一緒にピアノを学び、「並外れた才能」と評価されていたのですが、両親は音楽の道に進むことを良しとせず、彼に軍人になることを強要しました。そのような中で苦労して音楽を学んだシャーウッドさんは、作曲で頭角を現します。1957年に交響曲第1番が第12回ジョージ・ガーシュウィン記念賞を受賞するなど、多くの賞と奨学金を獲得し、その交響曲はドミトリ・ミトロプーロス指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団に演奏されるなど、将来をたく防された作曲家として順調なスタートを切りました。ところが、1967年にハンブルクでのフェローシップ研究の休憩中に起こした事件(ニューヨーク市地下鉄でエルビスのポスターを破壊したとして逮捕された)をきっかけに運命は暗転します。後に妻となる友人ルースの計らいで穏便な解決となりましたが、その影響もあってか、大学での教授職を得ることはできず、そこからシャーウッドさんの流浪の人生がスタートします。ベイルート、カイロ、エジプト、イスラエル、ギリシャと住まいを転々とします。そのような中で、ポリオに罹ったり、一時的に精神病院の入院患者となったり、いくつかの懲役刑に服したり、複数の国から強制送還されたり、と激動の人生を歩んでいます。1970年代はケニアに住み、スワヒリ語の学位を取得したりもしています。そのような境遇の中でシャーウッドさんは経済的成功、社会的地位などをほとんど考慮せずに作曲を続けました。1980年代には
妻をアフリカに残し、インド、日本、ラテンアメリカ(主にコスタリカ)を旅しました。その後、パリにたどり着いた時には、一文無しとなっていました。パリでは小さなホテルの部屋に住み、路上で物乞いをしながらカフェで音楽を書く生活をつづけました。そんな様子をかぎつけたマスコミが長編テレビドキュメンタリー「Der Bettler von Paris」を制作し、「乞食作曲家」として一躍有名になりました。2013年に激動の生涯を83歳で閉じられています。
本日の曲、「ピアノ協奏曲」は、晩年友人となったロシアのピアニスト、マーシャ・ディミトリエヴァのために書かれた作品です。シャーウッドさんは「アイディアを寝かせる」特徴があったらしく、本曲のテーマは1950年代のスケッチがもとになっています。バルトークの影響を受けた、と自認していらっしゃる通り、荒々しい音楽は尊敬するバルトークさんの音楽に通じるものを感じます。物質的には乞食をするまで追い詰められましたが、そんなものはシャーウッドさんの音楽の才能にはいささかも影響を与えなかったのでしょうね。本曲がそれを証明しています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
シャーウッド、ゴードン:ピアノ協奏曲