一日一曲(1861)コプラリオ、ジョン:「ああ、このうえなく美しい溜息をつくお人よ」によるファンタジア

 本日は、没後400年(1626年6月頃没)を迎えらえたイングランドの作曲家、ジョン・コプラリオさんの曲をご紹介します。

【ジョン・コプラリオ:イタリアへの憧れから自らの名前を異国風へと改名し、イングランド王室の寵愛を受けて高貴な器楽合奏の世界を切り拓いた独自の探求者】
 ジョン・コプラリオは、1570年から1580年の間にイングランドで生まれたとされていますが、正確な生年月日や出生地は謎に包まれています。もともとの本名はジョン・クーパー(John Cooper または Cowper)であったと伝えられていますが、イタリアの音楽文化への強い憧れ、あるいは一時期現地に滞在した経験からか、自らの名前をイタリア風の「コプラリオ」へと改めて活動しました。この大胆な改名エピソードは、彼の音楽が持つ異国的な情緒や、当時のイングランドにおけるイタリアン・ブームを象徴しています。

彼は当初、いくつかの高名な貴族の家でヴィオラ・ダ・ガンバ(ヴィオル)奏者、作曲家、そして音楽教師としてキャリアをスタートさせました。その才能が認められて王室への推薦を受けると、国王ジェームズ1世や王妃アンに仕えるようになります。1612年にわずか18歳で夭折したヘンリー・フレデリック王太子のための葬送音楽を作曲したほか、翌年には王女の結婚に伴ってドイツのハイデルベルクへ同行するなど、宮廷の重要な局面に深く関わりました。さらに、ジェームズ1世の次男であるチャールズ(のちのチャールズ1世)の音楽教師としてヴィオルを指導したことで、その信頼は決定的なものとなります。1625年にチャールズ1世が即位すると、コプラリオは待望の個人宮廷作曲家に任命されました。しかし、その栄誉に浴した期間は短く、翌年1626年の7月を迎える前に、ロンドンにてその生涯を閉じました。激動の宮廷を音楽で彩った彼の足跡は、イギリス音楽史における器楽合奏(コンソート・ミュージック)の基礎を築く重要な役割を果たしたのです。

【本日のご紹介曲:「ああ、このうえなく美しい溜息をつくお人よ」によるファンタジア】
 17世紀初頭に作曲されたこの作品は、当時イングランドで大流行していたイタリアの世俗歌曲「マドリガーレ」をベースに、弓で弾く弦楽器のアンサンブル(ヴィオル・コンソート)のために編み直されたインストゥルメンタル作品です。元になったのは、イタリアの巨匠ルカ・マレンツィオが1584年に出版した、詩人ペトラルカの悲痛な恋の詩に基づく高名な5声の歌曲です。
コプラリオは単に歌詞を省略して楽器に置き換えただけでなく、歌声では表現しきれない楽器ならではの音域の広さや、素早い音の動き、ドラマチックな跳躍を巧みに盛り込みました。言葉の壁を越え、純粋な楽器の響きだけで人間の深い感情をあぶり出すような、新鮮で濃密な音楽空間が広がります。

【聴きどころ】
1)しっとりとした哀愁の中で活きる、器楽の繊細な音の広がり
 歌声の制限(息継ぎや発音のしやすさ)から解放されたことで、ヴィオルたちは人間の声を越えた広い音域をゆったりと行き来します。曲全体のしっとりとした深い哀愁のトーンは崩さないまま、ポリフォニー(多声)がより精緻に、そして器楽曲ならではの気品ある跳躍を交えて美しく織り重ねられていきます。
2)隠された元のメロディを探す楽しみ
 コプラリオは原曲のパーツを自由に入れ替えたり、独自のアイデアで装飾を加えたりしてアレンジしています。原曲を知っている人でも一瞬「おや?」と思わせるような、精巧なモザイク画のような音の構成美が見事です。
3)ヴィオル・コンソートが織りなす「憂愁」の響き
 ペトラルカの詩に漂う「切ない溜息や死への祈り」といった濃密な哀愁が、ヴィオラ・ダ・ガンバ独特の繊細でどこかハスキーな美しい響きによって見事に再現されています。当時のイングランド宮廷人が愛した、極上のリラックスと心地よい気品に浸ることができます。

NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
コプラリオ、ジョン:「ああ、このうえなく美しい溜息をつくお人よ」によるファンタジア

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