一日一曲(1960)ケスラー、ハンス:パッサカリア協奏曲イ短調
本日は、没後100年(1926年5月23日没)を迎えられたドイツの作曲家、ハンス・ケスラーさんの曲をご紹介します。
【ハンス・ケスラー:ブラームスの伝統をブダペストに根づかせ、バルトーク、コダーイ、ドホナーニら次代の巨匠を育てながら、自らも厳格な形式に後期ロマン派の情熱と色彩を注いだ「ハンガリー近代音楽の陰の礎」】
ハンス・ケスラー(Hans Koessler、ハンガリー名 Koessler János)は、1853年1月1日、ドイツ・バイエルン地方オーバープファルツのヴァルデックに教師の家の長男として生まれました。1871年にはノイマルクトでオルガニストを務め、1874年からミュンヘンの音楽院でヨーゼフ・ラインベルガーとフランツ・ヴュルナーに学び、オルガン、作曲、合唱指揮を修めました。その後ヴュルナーに従ってドレスデンへ移り、合唱指揮や音楽理論の指導に携わります。1879年12月、ヴュルナーと初めてブダペストを訪れた際には、ヨハネス・ブラームスが自作の《ピアノ四重奏曲第3番》を演奏し、さらに《交響曲第2番》を指揮するのを聴きました。この経験はケスラーに強烈な印象を与え、以後彼は生涯にわたってブラームスを深く敬愛するようになります。
1881年にケルン市立劇場の楽長を短期間務めたのち、1882~83年度にブダペストのハンガリー王立音楽院へ招かれ、オルガンと合唱を担当しました。1883年には音楽院最初のパイプオルガンの披露演奏も行っています。1883/84年度、ローベルト・フォルクマンの死後には作曲教育も引き継ぎ、その後20年以上にわたって後進を育成しました。その門下にはエルネー・ドホナーニ、ベーラ・バルトーク、ゾルターン・コダーイ、レオ・ヴェイネル、エメリッヒ・カールマン、さらに指揮者フリッツ・ライナーらがおり、20世紀ハンガリー音楽の基礎を築いた世代に決定的な影響を与えました。
1908年に音楽院を退職しましたが、第一次世界大戦からオーストリア=ハンガリー帝国解体へと続く社会の激変によってハンガリーからの年金を失い、経済的に苦しい状況に陥ります。そこでかつての教え子カールマンらの尽力もあり、1920年から1925年まで再びブダペストで教壇に立ちました。1925年に引退してドイツへ戻り、翌1926年5月23日、アンスバッハで73歳の生涯を閉じました。
ケスラーは教育者としてあまりにも大きな足跡を残したため、作曲家としての姿は長くその陰に隠れてきました。しかし実際には、交響曲、協奏曲、室内楽、歌曲、合唱曲、オペラなど160曲を超える作品を書いています。彼は「作曲教師は、それぞれのジャンルを学ぶ生徒に自作を模範として示す義務がある」と考えていたため、多くの作品を出版や名声のためではなく、教育や自身の創作のために書きました。その結果、作品の多くが手稿のまま残され、一部は散逸・消失しています。ケスラー自身も晩年、自分は「作曲家としては遅く生まれすぎた」と感じながら、それでも周囲の評価に左右されず作曲を続けたと回想しています。近年の録音によって、ようやく「偉大な作曲家たちの先生」だけではないケスラー自身の音楽が、少しずつ歴史の影から姿を現し始めています。
【本日のご紹介曲:パッサカリア協奏曲イ短調】
本曲は、ヴァイオリンと管弦楽のために書かれ、第一次世界大戦が始まった1914年にベルリンのジムロック社から、総譜、管弦楽パート譜、ピアノ伴奏版が出版されました。作品はハンガリーを代表するヴァイオリニスト兼作曲家イェネー・フバイに献呈され、1923年にはブダペストでフバイ自身の独奏によって公開演奏されています。独奏ヴァイオリンのカデンツァもフバイが作曲しました。戦争勃発という不運な時期に出版されたこともあり、その後広く演奏レパートリーに定着することはありませんでした。
題名にある「パッサカリア」とは、一定の低音や和声的な骨格を繰り返しながら、その上に変奏を積み重ねていくバロック時代以来の形式です。しかしケスラーがここで作り上げたのは、単純な古典形式の復活ではありません。リストが発展させた一つの楽章の中に複数の部分を組み込む協奏曲形式と、バロックの変奏技法、さらに高度に発達した後期ロマン派の和声を結びつけ、約26分を切れ目なく進む巨大な協奏曲へと拡大しました。
重厚な管弦楽と独奏ヴァイオリンは、主従関係ではなく絶えず対話しながら音楽を進めていきます。変奏が重なるにつれて速度、音色、和声、表情は次々に変わり、同じ構造的な核を持ちながら、ある時は暗く沈み、ある時は抒情的に歌い、またある時は激しく高揚します。この独奏ヴァイオリンと管弦楽との対話が、音色と和声によって独特の「明と暗」に包まれていることが、この作品の特徴・個性となっています。
そして作品全体を覆っているのが、どこか過ぎ去っていく世界を振り返るような哀感です。1914年という出版時期を考えると、19世紀以来の調性音楽と市民社会が大きな転換点を迎えようとしていた時代の空気とも重なります。ブラームス以来の伝統を守りながら、その伝統が揺らぎ始めた時代に立っていたケスラー。その位置をこれほど鮮明に映し出す作品はありません。
長く忘れられていたこの協奏曲は、フョードル・ルディンのヴァイオリン、ルドルフ・ピールマイヤー指揮ニュルンベルク交響楽団によるCPO盤で世界初録音されました。本日はその演奏でお楽しみください。
没後100年を迎える2026年、ケスラーが「バルトークやコダーイの先生」だけではなく、確かな技術と独自の音響感覚を備えた作曲家であったことを知らせる、格好の再発見となっています。
【聴きどころ】
1)バロックの「パッサカリア」が、巨大なロマン派協奏曲へ変貌していくところ
作品の根底には、一つの音楽的骨格を保ちながら変奏を重ねていくパッサカリアの考え方があります。しかし耳に入ってくる音楽は決して古風ではありません。変奏するたびにテンポ、表情、響きが姿を変え、単一楽章でありながら、まるで複数の楽章を旅しているかのように音楽が展開します。**「同じものが繰り返される」のではなく、「同じ核から別の世界が次々に生まれてくる」**ところに注目です。
2)独奏ヴァイオリンと管弦楽が作り出す「明と暗」の対話
独奏ヴァイオリンは、オーケストラを従えて華麗な技巧を披露するだけの主役ではありません。時には管弦楽の中へ溶け込み、時にはそこから浮かび上がり、互いに問いかけたり応えたりしながら音楽を形作ります。その過程で、明るい響きと暗い響き、温かさと不安、抒情と激しさが絶えず交替します。ブックレットがこの作品の特色として挙げる**独特の「明暗」**を意識すると、ケスラーならではの色彩感が一段とはっきり聴こえてきます。
3)フバイのカデンツァと、作品全体を包む「過ぎゆく時代」の哀感
終盤で大きな聴きものとなるのが、作品の献呈を受けた名ヴァイオリニスト、イェネー・フバイによるカデンツァです。華やかな技巧だけでなく、それまで積み重ねられてきた音楽の緊張や憂愁を独奏ヴァイオリン一挺へ凝縮する役割を果たします。そして再び管弦楽が加わると、音楽は大きな流れを取り戻します。全曲を通じて漂うほの暗い郷愁に耳を澄ませると、ブラームスの世界を受け継いだ作曲家が、第一次世界大戦と音楽語法の激変を目前にした1914年に出版された作品であることが、いっそう印象深く感じられるでしょう。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
ケスラー、ハンス:パッサカリア協奏曲イ短調
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