一日一曲(1868)メルテル、エリアス:それでは、彼女に素晴らしい夜の挨拶を
本日は、没後400年(1626年7月21日没)を迎えらえたドイツのリュート奏者兼作曲家、エリアス・メルテルさんの曲をご紹介します。
【エリアス・メルテル:宮廷から大学の財務までを司り、当時の名曲を集めた「音楽の庭園」を世に残した、知られざるリュートの巨匠】
エリアス・メルテル(Elias Mertel)は、16世紀後半から17世紀初頭のリュート音楽の黄金期に足跡を残した、ドイツの優れたリュート奏者であり作曲家です。1561年頃に、現在はフランス領となっているアルザス地方のヴァンガンブール(Wangenbourg)に生を受けました。
彼の前半生については詳しい記録が少ないものの、洗練された音楽的教養を身につけたメルテルは、プファルツ選帝侯フリードリヒ4世の宮廷に召し抱えられます。1595年まで宮廷お抱えの音楽家として活躍し、選帝侯からも厚い信頼を寄せられていました。その後、拠点をストラスブールへと移します。1596年1月27日にこの地で結婚式を挙げ、同年12月23日には正式にストラスブールの市民権を獲得しました。
メルテルのユニークな点は、音楽家としての卓越した才能を持ちながら、極めて優秀な事務能力も兼ね備えていたことです。彼はストラスブールのアカデミー(後の大学)で、なんと財務管理者(会計責任者)という堅実なポストに就き、組織の懐舞台を支えました。しかし、音楽への情熱や奏者としての名声が衰えることはなく、1600年から1606年の間には、かつての主君であるフリードリヒ4世の呼び出しを受け、ハイデルベルクの宮廷で催された祝祭の席で計4回もリュートの御前演奏を披露しています。
彼の最大の功績は、1615年にストラスブールで出版されたリュート曲集『新しき音楽の庭園(Hortus Musicalis Novus)』です。ここには235曲のプレリュード、120曲のファンタジアとフーガという膨大な作品が収録されています。面白いことに、メルテルは「奏者が特定の作曲家に対する先入観を持たないように」という理由で、個々の曲の作者名をあえて記載しませんでした。そのため、どれが彼のオリジナルで、どれが当時の他人の編曲(イントラビュレーション)なのかは現在も研究者の間で謎のままとなっています。多才な生涯を送ったメルテルは、1626年7月21日に移住先であり長く活動したストラスブールでその生涯を閉じました。
【本日のご紹介曲:それでは、彼女に素晴らしい夜の挨拶を】
この楽曲は、当時ドイツで広く親しまれていた伝統的な世俗歌曲(民謡)を、エリアス・メルテルがリュートという楽器のために自由に編曲・器楽化した作品(カンティオ・ゲルマニカ)です。
明確な自筆譜や個別の作曲年は残されていませんが、メルテル自身が編纂し、1615年に出版した前述のリュート曲集『新しき音楽の庭園(Hortus Musicalis Novus)』、あるいは同時期のリュート曲集のなかに彼の編曲として残されています。そのため、1600年代初頭から1615年頃に成立したものと捉えられています。
旅立つ若者(騎兵)と、城壁の上で涙を流しながら見送る乙女の切ない別れを歌った元の歌詞に基づき、メルテルはリュートの繊細な響きを用いて、哀愁あふれる美しい音楽に仕立て上げています。
【聴きどころ】
1)歌うような「ポリフォニー(多声)の会話」
元が歌曲であるため、リュートの弦がまるで言葉を交わしているかのように、複数の旋律が美しく絡み合います。若者の切ない想いと、残される彼女の悲しみが2つの声部となって会話しているような対位法的な動きに耳を傾けてみてください。
2)リュート特有の「切ない余韻と装飾」
音がすぐに消えてしまうリュートという楽器の特性を活かし、メルテルは細かな装飾音をちりばめることで、感情の揺れを表現しています。音が消え入る瞬間の静寂さえも、別れの切なさを引き立てる音楽の一部となっています。
3)民謡由来の親しみやすく素朴な旋律
クラシック音楽の複雑な展開に慣れていなくても、一聴して心にすっと入ってくるキャッチーでどこか懐かしいメロディラインが特徴です。ルネサンス期の人々が居酒屋や宮廷で口ずさんでいた空気感が、そのまま上品な器楽曲として昇華されています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
メルテル、エリアス:それでは、彼女に素晴らしい夜の挨拶を
メルテル、エリアス:それでは、彼女に素晴らしい夜の挨拶を()
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