一日一曲(1898)アイルワード、リチャード:応唱
本日は、生誕400年(1626年生)を迎えらえたイギリスの作曲家、リチャード・アイルワードさんの曲をご紹介します。
【リチャード・アイルワード:王政復古の歓喜とともに英国大聖堂音楽の灯を再び点した、知られざるオルガニスト】
リチャード・アイルワードは、1626年にイングランド南部のウィンチェスターで生まれました。父レジナルドはウィンチェスター大聖堂の聖歌隊員(ヴィカー・コーラル)を務めており、アイルワードも自然と恵まれた音楽的環境の中で育ち、同大聖堂の少年聖歌隊員として音楽の基礎を学びました。
しかし、彼の青年期はイングランド史上最大級の動乱期である清教徒革命(ピューリタン革命)と重なります。1640年代から1650年代にかけてのオリバー・クロムウェルによる共和政時代、英国内の大聖堂聖歌隊は解散に追い込まれ、パイプオルガンは撤去・破壊され、厳粛な教会合唱の演奏は全面的に禁止されました。アイルワードも若い盛りの時期に伝統的な音楽の職を追われ、私的な音楽教授などで耐え忍ぶ生活を余儀なくされたと考えられています。
大きな転機が訪れたのは1660年の王政復古です。チャールズ2世の即位に伴い、それまで抑圧されていたイングランド国教会(アングリカン・チャーチ)の礼拝と音楽の伝統が劇的に復活しました。アイルワードは1661年にイングランド東部ノーリッジのノーリッジ大聖堂におけるオルガニスト兼少年聖歌隊長(マスター・オブ・ザ・コアリスターズ)に正式に就任しました。長年の禁止によって失われた楽譜や途絶えた伝統を一から再構築するため、彼は大聖堂のために数多くのアンセム(聖歌)や礼拝曲、そして「応唱(プリキーズとレスポンス)」を作曲・整理し、ノーリッジの音楽活動の再興に全力を注ぎました。
音楽家として最も精力的な活動を展開していたアイルワードですが、ノーリッジ大聖堂での復興事業の半ばであった1669年10月15日、ノーリッジの地で40代前半という若さで帰らぬ人となりました。遺体はそのままノーリッジ大聖堂に手厚く葬られました。短い生涯ではありましたが、伝統が途絶えかけた英国合唱音楽の架け橋として果たした役割は今なお高く評価されています。
【本日のご紹介曲:応唱】
アイルワードが作曲した「応唱(Preces and Responses)」は、イングランド国教会の「朝の祈り」や「夕べの祈り(エヴンソング)」の礼拝において、司祭(または領唱者)と聖歌隊が対話形式で祈りを捧げるための伝統的な合唱曲です。
本作は、1660年の王政復古から間もない1660年代前半頃、ノーリッジ大聖堂の礼拝を再興するために書かれたとされています。長年の音楽禁止によって途絶えていた合唱の伝統を取り戻すため、美しく明瞭で、祈りの言葉が聴く者の心にまっすぐ届くような工夫が凝らされています。アイルワードの応唱は、現在でも英国内の歴史ある大聖堂や大学聖歌隊によって日常的に歌い継がれており、彼の作品の中でも特に愛されている代表作の一つです。
【聴きどころ】
1)司祭と聖歌隊が織りなす「呼びかけと応答」の対話性
単独の司祭による問いかけに対し、聖歌隊が豊かな和音で答える伝統的なスタイルが特徴です。静寂と響きのコントラストが美しく、礼拝堂全体に祈りが満ちていく感覚を味わえます。
2)王政復古期ならではの明瞭で澄んだ和声の響き
複雑すぎる多声部を避け、祈りの言葉(テキスト)がはっきりと聞き取りやすい簡潔で美しい和声構造で作られています。澄み切った声の重なりが、聴く者に深い静けさと心の安らぎを与えます。
3)無伴奏ア・カペラによる透明感あふれる空間美
オルガン伴奏を伴わず、人間の声(合唱)のみで演奏される部分が多く、声本来が持つ温かみと聖堂の残響が心地よく響き渡ります。英国合唱音楽の原点ともいえる素朴で清廉な美しさが凝縮されています。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)より(NML会員以外の方でも無料で試聴できます)
アイルワード、リチャード:応唱
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